1. HOME
  2. お知らせ
  3. 2024年10月19日の第六種神拝作法修習講習での七澤久子代表の講話

2024年10月19日の第六種神拝作法修習講習での
七澤久子代表の講話

こんにちは。空が澄み渡り秋めいてまいりましたね。玄関の戸口の金木犀の花が咲き、秋の訪れを感じています。あと、10月、11月、12月と白川学館は臨時祭祀含めて祭祀がございます。

この度は、第六種神拝作法修習講習にお二人の方におみえいただいております。誠にありがとうございます。第六種鎮魂作法を伝授されることは、家庭祭祀で鎮魂したものを献饌することができ、とても大事ことだと思います。

私も七澤前代表と共に、高濱浩先生から六種の伝授を受けました。そしていただくときに、ご神殿は清らかでございました。

一昨日、この祝殿に、ある尊い神社の方々が、いらっしゃいました。そして、「この白川伯王家のおみちを、ここに伝承する場があるということは、非常に素晴らしいことですね」という有難いお言葉をいただきました。また、白川伯王家の方が、以前、その神社に行かれたそうです。白川伯王家の方は、それぞれが日本の多くの場所に訪れ、そして白川のおみちを伝えたことがございます。

白川家の学頭でいらした森顕胤(もりあきたね)先生も、江戸時代、河口湖の神社に祀られております。森昌胤先生のお墓は、河口の地にあります。33回忌には吉田の西念寺で営まれ墓碑も建立されました。宝暦12年(1762)には森昌胤先生は『神道通国弁義』を著し、伯家神道の意義を示しました。

白川のおみちをお伝えする先生方が、山梨にまいりました。明治時代の中頃、宮内忠正先生も山梨県甲府市の北部にある「脚気石神社」にお越しになったそうです。宮内忠正先生は、高濱清七郎先生が創設した「和学教授所」を継承された先生です。宮内忠正先生が脚気石神社を訪れた理由は、白川での御祭神様と同じ天之御中主神をはじめとする造化三神が祀られている神社であったからです。

また、この祝殿の近くに酒折宮がございます。日本書記によりますと第12代景行天皇の時代(西暦111年)、日本武尊(やまとたける)が、東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り歌を詠んだそうです。それで、「連歌発祥の地」と言われています。

そして今ここに、「甲斐の神行」でしょうか。七澤賢治前代表は、甲府で生まれ、そしてこの地で七年間、高濱浩先生より尊いご修行を受け、そして、「七澤さん、ここ甲府で、百年も二百年でも守ってください」という言葉を頂戴しました。

改めて考ますと、私がこのおみちを始めてから早44年経ちます。半世紀ですね。口伝として、高濱浩先生から教わりました。心に留め、そして頭の中に留め、全て所作も、先生のお姿を拝見して覚えました。そのときビデオ撮影や録音もしませんでした。

ところが七澤前代表は、これを皆さまに向けて、「言霊と、鎮魂、祓いの、システム学習をしよう」という発想をいたしました。そして、今があります。これから七澤前代表の動画もございますが、これが残っていることは奇跡のような、大事な、尊いことです。それを学び、声のトーンであり、そして間の置き方、それから拍手の音、その辺りは動画を見ていただければと思います。いずれにしても、このシステム学習を考案したということは尊いことだと感じております。皆さまとこの場で、コンピューターを通して、それが回覧できるのはとても素晴らしいことです。

対面で伝授を行うことは尊いことですが、一人の人に10年、20年かけて伝授することになります。おみちを、システム学習にすることで、きちんと反復練習しながら伝授できることはとても大事です。

今日、お二人の、尊い方がいらっしゃいまして、この六種修習講習を受講されるということで、心から感謝申し上げます。これまで高濱浩先生ほか、大勢の方々が、門人として、大変ありがたく、支えてくださっていました。

白川伯王家のおみちの「白川家門人帳」が私のところにございます。江戸時代より甲斐の国には誰々がいるというふうな門人帳ですね。尊いおみちが今ここで改めて、皆さまに伝えられるシステムが整いました。そして皆さまと対面でできることは大事なことです。そして、ここで対面することが、まさに今日は一期一会です。

六種の鎮魂は自分が整って、そして自分が、目にするもの、自分の前にいるものが、生き生きと輝き出すことを、気付いていただけると思います。六種の鎮魂はその物が、自分の働きを、まさにこれから生まんとする、生きんとすることです。

七沢歯科医院は、45年間、この地で診療をしております。私は、朝、歯科用ユニットのそれぞれに向かって、火打ちで清め六種の鎮魂をします。そうすると、歯科用ユニットが生き生きとした感じがします。花に向かって六種の鎮魂をすると、そのお花も生き生きと清々しい感じになります。

これから祝殿の天井を守る工事をいたします。多くの方々のお知恵があり、そして皆さまのおかげで、この祝殿が生きています。いらっしゃった神社の方がおっしゃったのは、「外で見る祝殿と、中に入った祝殿は全く違いますね」ということでした。「ここは、設から、清まった空間で、清まった人しか入れませんね」というふうにおっしゃっていました。そういう尊い空間が、生きづくには、やはり人の力、自身の祓いの力が必要です。

今日、伝授された六種の鎮魂を自分のものとしてご自宅に帰って、家庭祭祀する場合、六種の鎮魂をしてください。生まれ変わった家は輝いていることと思います。

それをまざまざと体験していただければ良いと思います。これから七澤賢治前代表のビデオが放映されます。尊い時間でございますが、頭で、そして心でこの知識を覚えていただいて、明日からの糧にしていただければと幸いです。

今日は本当にありがとうございました。


⁂ 森昌胤(1715頃~1785年)先生は、宝暦10年(1760)に白川家の学頭に補任されました。後に、神祇伯資顕王より「顕」を賞賜され森顕胤(もりあきたね)と名乗りました。また、森専鉾(せんぽう)とも号しました。

お知らせ

お知らせ一覧