12月14日に、リアルの開催ということで、今年の最後の祝殿講習を行いました。いつもどおり、最初は自修鎮魂法、そして、皆さんでお祓いを奏上したあとに、通常のご修行ですと、金霊神のご修行、もしくは祓戸四柱のご修行に移るのですが、昨日は、そのご修行ではなくて、白川学館の理事の菟田中子さんをお招きして、お話を伺う機会となりました。
まず初めに菟田さんと横山講師と斉藤祝殿宮司から、今年の振り返りということで、各自それぞれ今年の色んな気づきであるとか、感想をお話いただきました。
その後、菟田中子さんからお話を賜りました。伊勢や大祓の祭祀で、何度かご講演いただいたり、七澤元代表理事の「はふりめく」の中でも、ちょくちょくお名前が出ていますので、門人のみなさんにはご存じの方も多いと思います。
菟田家は仲哀天皇の時代から続く家系ということで、ご自身のルーツのことや、また実際に、ご祖父さま、お父さまから聞かれた、奉職した神社のこと、祝詞のことなど様々なお話をしていただきました。
特に、印象に残ったところは、日本において、家を守るということは、天皇家だけだ、ということなんですね。そして、菟田家というのは、たしかに家というのはあるんですけども、もともと「かじ」をする集団で、鍛冶といっても製鉄であるとか、加持祈祷の加持、祝詞を唱えたりする職人集団ということで、そういった家業を守る伝統だということを、お話いただきました。
また、お話の後半では、麻の話、大麻のお話をいただきまして、もともと日本の伝統文化で、祭祀の時の献撰や祓い串のところにも、大麻の紐が使われております。特に宮中で献上する品があるときは、麻の紐でしっかり縛って、それでちゃんと祓い清められていますよ、というひとつの印となっています。
戦後、麻の栽培は繊維産業などの色々な兼ね合いがありまして、GHQによって圧力をかけられて禁止され、大麻取締法という法律もあり、日本では免許をとらないと栽培ができなくなっており、免許を取得するのも困難な状況です。そのような存続の危機にある状況の中で、それをしっかりと伝統文化として残していこう、という活動をされている、そんなお話をいただきました。
その後は、横山講師より菟田さんのお話を受けての感想や、斉藤祝殿宮司からは、おととい行われた、スタッフ向けの講習会の補足として、結界をしっかりと張っていくことであるとか、作法において、こうしなくてはいけない姿勢を整えなくてはいけない、というところから、さらに上の段階にいくと、自ずと整うという、そういった境地が大切だということをお話いただきました。
最後に質疑応答を行って、それで今年最後の祝殿講習を終えることができました。
今回はいつもと違う形の講習ということで、貴重なお話が聞けて良かったという感想もいただきまして、また来年以降にも、祝殿講習は新たな形で展開して参りたいと思います。(森田)
このたびの祝殿講習におきまして、菟田中子さんが祝殿にて、お話を共有していただきました。その時に、祝詞のお話もしていただきました。
白川学館の活動として、祝詞構文を作成させていただいておりますが、祝詞構文の作成におきましての出処ともなる書籍としまして、『祝詞大成』という祝詞全集を使わさせていただいております。『祝詞大成』は、菟田中子さんの、御祖父様にあたられます菟田俊彦様が、祝詞研究の大家として長きにわたり、ご研究をされてこられ、ご功績として、『祝詞大成』という祝詞の辞典の編纂を執り行われたお話を、賜りました。
祝詞というものは、自ら書き起こしたものを言葉として発することで、人の立場として、神々に奉(たてまつ)る言葉となり、神と人とのあり方が、その時に初めて見い出されるということのお話がございました。
祝詞の文章のなかには、「奉献(たてまつる)」「奉仕(つかえまつる)」という言葉が、各所に出て参ります。「たてまつる」ということは、「神々に奉る」ということになり、自ら言葉を書き起こして、言葉を発することが、「神々に奉る」ということのお働きの原点となっているということになります。
日本の文化の源泉にあたるところは、神と人との関わりのなかで、初めて言葉が生まれ、成り立って来ているということ、そして、そこから様々なコミュニケーション・プラットフォームが成り立つことに繋がるということも、共有の学びとして、確認することができると思います。
各階層の、そして各立場での様々なコミュニケーションが成り立つところの源泉は、神と人との関わりから始まる「言葉」であります。祝詞の言葉の一音一音、一言一言による言葉のあり方が、神と人との交流から生まれるということを、昨日の祝殿講習の日において、確認させていただきました。(斉藤)