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2022年3月29日のオンライン祝殿講習

20220319_祝殿講習

3月29日にオンライン祝殿講習が行われました。自修鎮魂法、お祓い、金霊神のご修行、倭論語のご修行と進め、学びを深めさせていただきました。

金霊神のご修行に入る前の説明として、体感を求めようとせず、とらわれずに、ご修行を行っていただくことをお伝えさせていただき、ご修行後には、自らのお言葉をもって、様々に表現していただきました。

今回は、金霊神のご修行におきましては、隕鉄の原石と木の、各ご修行を行わさせていただき、日頃の五階層の学びが、言語化をもって表現されていることを感じさせていただきました。感情を、感情の階層をもって体感されたケースや、あるいは、脳の中心部からの体感といったように、階層としての体感のあり方を言葉に表わしていただいたことも、今回のご修行としてございました。日頃の階層、統合の学びをもって実践されているなかで、様々に感じられるところを、客観視を伴いながら言語化されていることが、今回のご修行において、共有確認できたと思います。

倭論語におきましても、事前に和歌を選出させていただきまして、皆さまがそれぞれに事前にお調べいただき、祝殿講習時に、各ご所感として共有させていただきました。本年から倭論語のご修行が始まっておりますが、当時の時代において作られた和歌を通じて、現代に、そして、日常に活かし、お繋ぎされるところの言語化をもって、言霊の国としての言葉の精緻なあり方を、公の学びとして、ますます共に確認させていただきたいと思います。

次回の祝殿講習は、リアル開催となっております。同時に社会情勢の変動もありますなかで、オンラインとして適応させていただくこともご了承の上、あらためまして、よろしくお願い申し上げます。(斉藤)



29日は七澤賢治前代表の月命日、帰神されて7ヶ月というお話が、七澤久子代表からございましたけれども、そういうところもあって、ある意味、非常に意義深く、いろいろ考えさせられるご修行であったかなというふうに思います。

近頃はご修行の後に、ざっくばらんな形でみなさんと交流するための祝殿交流会というのを設けています。いろんなご質問を受けたり、あるいは日頃のご感想を受けたりしているんですが、改めてそういう場でお話をしていて思うのは、みなさん白川で受け取ったものを、非常に大事にしてくださっている、ということですね。あと、講師一人ひとりがお伝えしたことを、とても大切にしてくださっているんだなということを感じました。

私とかかわり合いが深いところで言いますと「施餓鬼供養」ですね。ご質問が、今もずっとやっているのだけれども、そのへんの心構えですとか、あるいは久しぶりに始めたいのだけれども、どういう形でやるべきなのかというご質問をいただきました。

七澤賢治前代表とやっていた施餓鬼供養というのは、仏教的な伝統とは少し違う、祓い・鎮魂・言霊を主体とした自由なものだったんですよね。横山住職もちょうど講師として来られていたので、話したのですが、寺の伝統的なところでは、餓鬼というのは食べるとすぐ灼熱の炎になっちゃうので、「水の子」といって水を多くする、あるいは食道が細くなっているんで、そういう煮物は避けて細かく刻んだものをいれて差し上げるとかですね。

対して母屋というところでやっていたのは、もう食事するものをそのまま、煮てあろうが、何であろうが、自由に差し上げるということがあって、でも鎮魂、祓いということと一緒にやっていると確かにそういう施餓鬼の効果があるといえます。様々な飢餓、空間に漂っている飢餓という情報場が、一点に纏まって、きれいに祓われていくおはたらきが間違いなくあるということを実感させていただきました。

そういうことを考えると、枠を離れて色々なことに取り組んでいたのが七澤前代表だったんだなということを感じます。

最初お会いしたときに、この白川というもの、白川伯家神道というものに、私は興味があって、のっけからそちらのご質問をさせていただいたときに、要するに信じる必要はない、すべては実験祭祀学であるということをおっしゃっていたのが、いまだに印象に残っています。だから私たちも、これから、白川の一つひとつをそのような目で見ていくことも大事ではないかな、ということも感じております。たとえば体感を掴むっていうことも、昨日は、体感にこだわらないというところでお伝えしていました。

一方で、昨日ご修行で使用した倭論語自体、昔の七澤先生のいろんなお話を聞いていると、古代の、いわゆる私たちのご先祖が体感したものを、そのまま得ることによって、神を「体感」しようという表現もあるわけですよね。その中で体感にこだわらないことと、しっかり体感することの兼ね合いがあるといいますか。

あとは、たとえば慢心してはいけないことですね。昨日は山口周行さんも、交流会では講師でご参加いただいて、ずっと祓い鎮魂をされていくなかで、なんか自分が大変な仕事をこなされていくなかで、たくさんの仕事をしていることに慢心しているということに気付きました、ということをおっしゃっていました。やっぱり俯瞰する力はさすがだなってことと、わたしは、周行さんいっぱい仕事しているから、慢心していいんじゃないんですかと。半分冗談ですが(笑)。慢心できるくらい仕事できることはやっぱりすごいことですね。

先生も、ある段階で慢心するなっていうこと自体が、ひとつの、要するに古代の人の罠であるというか、それ以上行かせないための罠であるというような言い方をされたこともありました。

そのあとはやはり通常の慢心するな、ということに戻しますけれども。ある面、薬は毒になるっていうところがあって、それはとらわれすぎると毒になってしまうところがあります。体感にとらわれるなっていうのも、とらわれまいとするほど、そう言われても体感が欲しいっていう本音がどんどん湧いてくると言いますかね。「今、絶対に犬の映像を思い浮かべないでください」と言ったら、逆に犬の映像が浮かんでくるようなものです。それを考えると、逆に体感にどんどんこだわることで、体感から離れられる世界もあります。

ベースはあくまで基本に忠実にやっていくところと、逆にそこにとらわれずに自分で実験していくところと、この「キワ」の部分をしっかり見極めていくのが、自己内審神者のところで非常に大事になってくるところです。

そのへんをご修行のたびに考えさせていただける題材がすべてそろっている白川は、改めてすばらしいなということを感じさせていただきました。わたくしからは以上ですけれども、引き続きこの大切なおみちを伝承するお手伝いをしていきたいと思った一日でした。

ありがとうございました。(石原)

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