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2021年4月28日のオンライン祝殿講習における七澤代表の講話

 皆さん、こんにちは。今日は、白川学館における祝殿講習の本来的な意味といいますかですね、そのあたりを今日は話をしたいということを感じたので、そのことについて話をさせていただきます。白川学館における基本としては、祓いと修行といいますかですね、大きく2つがあるわけですけれども。そういう普段のお祓いと、必ずやりますけれども、ご修行という形での学びというものが、両輪のようにあるというのが、白川の学びであるということになるのですけれども。お祓いについては、それなりに、学ぶということについてのしっかりとした基本をというふうに、よくいわれていることですけれども。ご修行という形でとる、その学びが、どういうふうにご修行というものを、我々は理解したらいいんだろうかということを、色々と考えることがあろうかと思うんですね。

 確かに、ご修行という形で学ぶということは、祓いをあげていただいて、1つのボディーワークといいますか、そういうものを通じて、何を掴むのかというかですね。それは、宗教的には一種の悟りのような世界というかですね。空とか無とか、そういう世界を端的に身体感覚の中で掴むということが1つの方法としてはあろうかと思うのですけれども。少なくとも、そういう身体感覚の中で、情緒も、あるいは悟りも、自ずから神をしっかりと手にするというかですね、そういうところまで、果たして、どう行くのだろうということの、そのことについて、白川では、なかなか一人ひとりに対して、こうですよということを一切教えないというのが、今までの鉄則であったわけですね。それが、今の我々の学びの段階では、どういうことを、ご修行として、それを身体感覚にして、あるいは情緒にして、あるいは所作として、神を掴むかというところがポイントになろうかと思うわけですけれども。そのときに、一つのシステム的なそういう学びというものが、はっきりとあるということも、また事実なわけであります。

 システムということは、そういう学習法が可能であるということにも繋がるというかですね、そういうことになっていくわけですけれど。ですから、みんなが共通して学べる、感じられる世界というのは、ご修行の一環であるということです。それは、「みんなが、また共通して実感できる世界の学びなんですよ」という世界を修行するということになるわけですね。ですから、その部分も、我々が広くいうと、学びのシステム的な学習法として、みんなやれば、そのように実感できる世界というものが、一方にはあるということは周知の事実ということになるわけですね。

 では、そのシステムとは、どういうことかというと、それは、身体操作として、荒さとか、優雅さとか、そういうものは人の特徴みたいなものですからね。もちろん、そのようなものもありますけれども、基本として、そういう学びが、こういうふうなシステムとして、学習法として、自分自身の腑に落ちてくるというかですね。それが自分の満足のいく時間でできるかどうかというのは、それは、それぞれ人によって違うということはございますけれども、必ず得られるものはあるというところは、皆さん、ご承知おきいただきたいというところであるわけですね。みんな、そうすれば、そうなるという基本動作みたいなものが、人と先祖、遠津御祖神と交わるときの交わり方、あるいは人と五行といいますか、自然というかですね、そういうものを含めた五行、五大といいますか、風というようなものも含めてですね、今、そういうものをまとめて、どんどん情報にして出そうとしています。特に物質の働き、あるいは太陽とか月という、日霊神、月霊神という働き、あるいは水霊神というような、そういう霊神ということで、より分かりやすいエネルギーという形でもって、今、学んでいるところです。霊神と、霊と神の両方を結合して表現しているところがあります。あるいは風と霊、風霊神というようなですね、そういう五行にも繋がるところでのご修行というようなことをさせていただいているということもございます。その先には、当然、今、我々が、盛んに直霊(なほひ)の直霊神(ちょくれいしん)というかですね、そういうエネルギーの存在も明らかにして、直霊といいますか、直霊神の様相は如何にという学び、その先には、言霊神という、百足神(たりたるのかみ)とかですね、そういう神々を、そういう呼び方で呼ぶときの、興台産霊神(こことむすびのかみ)とか、己等乃麻知比売(ことのまちひめ)とか、あるいは、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)とか、父・母・子というかですね、そういう神の名前として出てくる言霊神といいますかですね、そういうところも、八神殿の先にはありましょうしね。

 そういう五魂として、あるいは産霊(むすひ)としてあるものが、ひとつの25次元、26次元といいますか、そのように分けられて存在しているということも、今、明らかにしようとしている部分でありますけれども。そういうものが学びとして、ご修行としては、金霊神として鎮魂してみるというかですね。それこそミネラルといいますか、宇宙に存在したものというかですね。なかなか水素そのもの、窒素そのものとかですね、そういう液体のようで気体のような存在というものは、なかなか体感することが難しいところもありますけれども、その難しいところをどういうふうに学んでいくのかということが、ご修行というものが持っているダイナミックな部分で、世界の他のご修行には、なかなか無いような、そういうご修行をさせていただくということが可能になってくるんだということですね。ですから、鎮魂ということも、あるいは、水素と酸素が化合して水になって、三態として、液体のようで気体であり、固体(氷)にもなるような存在である水も、水霊神を、特別に学ぶということも、我々としてはやっているわけですね。だから、そういう学びを、どんどん深めていくというところが、この白川のご修行の容易ならぬところというか、階層というか、深い階層に色分けされて、それを随時学んでいくということが可能になっているということを、我々は知らなければならないと。その修行であるというところも、はっきりと、これからも実感する。

 ですから、今日の土の、ある面では、修行の一部ですけれども、それが、塩の概念。あれは4000メートルの海底で圧縮されて出てきたものが、また、4000メートルの高山まで積み重なるというか、圧力がかかって、いってみれば超臨界というか、臨界を起こして、そういう実体になるわけですけれども。そのことが行われた結果として、そういう山の4000メートルの深い洞窟の中から、あれは採取してきた、非常に新鮮なものなんですね。ボリビアで、知人が早い時期に商いをしていて、あれは、紅塩というピンクの岩塩なんですね。それを、今、玉にして、それで、みんなでもって瞑想、鎮魂するというところまで、物質を体験するというところまで来ているわけですね。そんなこともあって、そういう稀にしかないような、土というものがあるのですけれども。

 これは、我々の学びの中では、ちょうど、祭祀的には、水と塩と洗米を三方でお上げするということをしますよね。熟撰の作法も、毎朝、やっていきたいということもあって、そういう方法もありますから、どこかから始めることになりますけれども、水と塩を混ぜるというところに、人の生命というか、命というものが、それで育つということで大切な部分でありますけれどもね。塩を、一つの岩塩としてみたときに、それが1つの泥というのもおかしいですけれども、ミネラルの1つの結晶でもあるわけですから、ミネラルということは、それを出すときのものは、古代からの、そういう存在は化石水(かせきすい)と呼ばれています。地中の中にもありますし、それが表にある場合もありますけれどもね、それが化石の水というような捉え方もありますけれども。要するに、荒魂・和魂・幸魂・奇魂・精魂という五魂で、精魂は、泥魂(ぬるみたま)というように泥になるわけですからね。泥というのは、すべての存在、ミネラルの存在が溶けている。それは、そこからすべての栄養を摂っていくというようなことであるわけですけれども、そういう存在を、泥魂といいますけれども、水と土が混じって、いってみれば最高の薬が生じるといってもいいと思うんですね。これは炭素と水、あるいは、水と、またそういう元素というんですかね、それが、一番の人の薬になるということにもなるわけですね。そういう方法をとっているんですよということですね。

 水と塩を毎朝、お供えするというのは、そういう方法が、祭祀の大事なところにあたっているんだということを知っておいていただければ有り難いかなということなんですね。そういう祭祀的な意味では、そういうことがありますと。その塩と水を、玉で見ることで鎮魂することで、我々の中には、基本的に、そういう塩の土といいますか、塩椎(塩土)神という存在ですね。それと、ある面では、その働きによって、生きているということをしっかりと知るということですね。そういうことをやっているわけですけれども。ですから、塩椎神の働きを掴むための方法として、水と共に祭祀としてお供えするということにもなると思うんですね。そういう感覚といいますか、学びを鎮魂によって実感するということも、ひとつのご修行の一環になろうかというふうに思うんですね。

 もちろん、我々は五行というものを学ぶために、そういう修行としての学びをやっているところでもありますけれども。それが、すべての物質といいますか、原子というか、そういうものの働きを身に受けるという意味で、この地球の我々は46億年~47億年にかけて、太陽系の生命史の中での学び、すなわち、隕石が、核になって、初めて太陽系の惑星ができるのですけれども、それができるまでは何回も、真ん中に真円に近いものになるために壊れてしまうということが行われて、次第に、真球に近いものになって、惑星が出来ていったという経緯はあるわけですね。だから、その隕石というのか、それでできている隕石を、我々は、瞑想、鎮魂することによって、隕石、隕鉄の消息を知ることができたりするということは、今、学んでいます。これも、隕鉄の玉を作るということも、これも奇跡に近い技というかですね。剣を作るときでさえも、今までできなかった世界でしたが、それを丸にして、それを鎮魂石にして(鎮魂を)やろうというかですね。

 地球は基本的には、ケイ素の塊ですから、太陽系以外の外宇宙から見ると、キラキラ光って見えるのですけれども、その内容物はケイ素の塊といってもいいくらいです。だから、鎮魂では、黒曜石を使うんです。よく、普通は、水の玉という言い方もありますけれども。それも、我々は一番の基本になるような水を作って、それを瞑想、鎮魂するということを大事な修行方法としてやっていますけれども。そういう月を、日を、水を、あらゆる物質を鎮魂するということをさせていただいて、広げていくというかですね。物質としての鎮魂法も、そうやって一つひとつ確認していくという作業がご修行になっているんだということを含めて、それをやっていただいているということもあります。

 そんなこともありまして、内容は、非常に多いわけですけれども、それも一つひとつ、さらに高度化していくということですね。そういうことと同時に、我々は、その存在が、また、一つひとつの階層の神に近づく方法でもあるし、また、それを神として掴むという、そういうご修行があってですね。それが、遠津御祖神、そして、五行の神、五霊神(日霊神、月霊神、水霊神、金霊神、風霊神)というところを学んでいきます。そして、さらに神という、国津神としての神とは何かということもご修行しますということ、そして、さらに天津神とは、いかなる神かということも学んでいこうということで、そういう階層性の中で、また、神を学ぶという修行も、同時にやらせていただいているということですね。

 ですから、鎮魂もそうですけれども、言霊も、祓いも、ご修行ということの観点からみると、そのことを、一緒に掴もうということであるわけですから、そこに気がついて、毎回参加していただいている皆さんと一緒にさらにここは深めなければいけないかなと、ご修行の境地も内容も深めていかないといけないかなと思っております。

 ですから、これから、このあたりの、そういう学びが、たくさん入って、また皆さんの頭を悩ますかもしれませんけれども、そこを抜きには語れないというかですね。そういうものは単なる知的直感だけでは、それを掴むということにもならないところがありますから、そこは直知するというのか、直感の時間をさらに短くして、学び切るということも、共にこれからやるべき大切なところではないのかと。それについての学びを、どういうふうに、これから、学びの方法を掴んでやるか、そういうことを、いろんな装置化や、あるいは、そういう学びの知識にして、皆さんにお伝えするということで、そのあたりの一つのところで皆さんに参加してもらうということも必要なのではないのかということもございまして、またさらに考えていただきたいというところでございます。

 そんなことで、これから、我々は、ご修行の仲間でもあると同時に、ご修行を共にするということを通じて、さらに白川のおみちを広げていくという意味では、たくさんの人たちが一緒に参加しようというようにいっていただいて、さらに枠も、学びも広げていくことが、このときにあたっても大切なことではないのかなと思うので、そのへんのご協力をお願いしたいなと思っております。参加者を、どんどん増やしていきたいなということは前々からの願いでもあります。よろしくお願いしたいと思います。自分の悟りを掴めばいいという個人主義に陥らないで、あくまでも、公のために尽くしていただける一人ひとりになっていただければ、有り難いかなと思います。またよろしくお願いしたいと思います。

 本日はありがとうございました。

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