2021年2月27日のオンライン第七種神拝作法修習における七澤代表の講話

皆さん、こんにちは。オンライン講習ということで、白川学館も、白川家学館も、はたまた、白川家の教えも、いってみれば「オンライン」ということでね。我々は、もともとオンライン化ということを、早くから進めていて、すでに電子祝殿というような形をとって進めています。昔は、放送とか、同報通信とか、そういうものでした。もともとは、白川通信というものもありましたけれども、進めてきました。いわゆる、電子化ということを進めてきた歴史は長いわけであります。そのための、ネット環境というか、そういうものを、どんどん、繋がり方、あるいは、繋げ方、学び方を、様々なかたちで進めてきた経緯があるわけですね。そういう、長い白川家の歴史からみても、江戸期のものからも含めて、ずいぶんと進化というのかね、いわゆる、七種入門ということでもね。白川家門人帳というような、そういう御本もあります。神道の学びの世界では、近藤喜博(こんどうきはく)先生という方が、金光教にわたった、文書類がたくさんあるのですけれども、その文書類を復刻して出したものがいくつかあるわけですね。そういうものが、白川家門人帳という形で、近藤喜博先生が中心になって作られました。白川家で学んだ人たちのお名前や、どこまで学んだかというところまで出ているわけですね。
そういう古くからの歴史を紐解いても、教え方、あるいは、学び方というものは、今、我々がやらせていただいているオンライン化の流れというのは、非常に、そういう意味では初めてというか、かつてないわけでありまして、それが、今、こうして行われているということになるわけですね。そういうオンライン化の中で、電子祝殿から、皆様の家に、一つの学びのかたちを変えて送るという、ユニークなというかですね。歴史上初めてのことを、特に、七種入門に関しては、オンラインでは、今回が初めてといいますかね。普段、毎日、我々は、祓いを祝殿から世界に向けて発信はしていますけれども、ついに、七種の入門の学びをこうして皆様方にお送りする、そういう快挙というか、なんというか、そういう時代になったといってもいいと思うんですね。 そういう意味では、色んな様々な場所で工夫されて、なるべく、学びやすい、そういうものとして、皆様方に、提示するというのか、そういうことは、しっかりとやっていきたいということですね。今回は、鉢巻(はきまき)を締め直して、皆様方にお伝えするということをさせていただいているといっても過言ではないかと思っています。前置きが長くて、早く始めてくれとなりかねませんので、そういう経緯(いきさつ)もありますけれども、オンライン学習ということが、早くから目指していたものとしては、皆様方と共に、こうして、そのことができたということが、すごく喜ばしいことではないかと思っています。
先程もいいましたように、門人帳によりますと、たまたま、ここにあります。上巻・中巻・下巻が一緒にあります。ほとんど人の名前ですね。そして、いつ入門して、どういう教えを受けたかという内容が、こと細かく記されているというかですね。こういうものは、もともと、白川家の門人帳に設える前には、白川家日記という250巻以上ある日記が、白川家にあって、今は、宮内庁の書陵部にすべて収蔵されています。その中を閲覧できる場合もありまして、宮内庁に行って、見せていただくということも可能になっています。その一部を、日記の細かい内容もありますけれども、そういう中での門人帳というものが、たくさんあったわけですね。それを、1つの御本として、昭和の頃、門人帳が作られました。甲州は、主に御師(おし)というか、富士登山の関係で、白川流で学ぶということが、一番、熱心にしていた経緯があります。これは、白川家が、その富士山の周りにある160軒くらいの御師の家、すなわち、富士登山の安全のためにお参りする方法論といいますかですね、そういう祈りの家があったわけですね。これが理由で、富士山の自然遺産も、世界から認めていただいたという経緯もあるわけですね。
そういうことで、白川家というのは、富士山の周りで、江戸後期になりますと、白川の学頭といいますか、白川家の学びをするための一種の学校のようなものがあったわけですね。その学校のような、白川家学館の学頭といいますか、校長先生のような方が、富士山の周りに直接来られて、お教えをしていました。その記念碑というか、墓まであるくらい、何代かにわたって、そういう白川学館の学頭が教えておられたというかですね。高濱清七郎先生というのは、当時、平田篤胤(ひらたあつたね)という方もいらっしゃいましたけれども、その後、最後といいますかですね、その白川家の学びを伝えたといわれておりまして、学頭もされたという記録もあります。高濱清七郎先生は、門人帳では、最高峰の十種神寶御法(とくさのかんだからごほう)という、そういう教えを受けたという記録が記述されています。昭和、平成、新天皇になられる三代にわたって、そういう教えが、山梨でですね、最終形としては、高濱浩先生ですね。高濱清七郎先生の曽孫(そうそん)にあたる、その「おみち」を伝えてくださった先生が、甲府の地で、100年でも、200年でも、とにかく守り続けなさいという号令がありまして、私もこれを皆様方にお伝えするという役割をもって、今、皆様方にお伝えしているわけであります。
ですから、江戸時代には、一番、熱心に学ばれていた本庄家(ほんじょうけ)という家があったりですね。私の父方の先祖は、これは、いわゆる、加賀美遠光(かがみとうみつ)といいまして、武田家の兄弟の家でありまして、それが、江戸時代に、やはり、京都の白川家で学んでいたという記録もございますけれども。いってみれば、非常に甲州との、先ほど言いましたように深い関わりがあって、この「おみち」というものを伝えてきたといいますかですね。それで、今、この時代に、また甲府で、それを皆様方にお伝えするということになって、奇縁といいますか、そういう縁で、皆様方にお伝えするということは、実に不思議な経緯というしかないかもしれません。白川の入門ということは、七種からあるということですけれども。神拝作法は十種からあります。まず、生まれてくるということで、みんな命をいただくということで、十種となります。それから、九種、八種、七種ということで、今日は、七種入門という内容を、皆様にお伝えします。
白川伯王家神拝作法の伝
http://s.shirakawagakkan.jp/kaitei0227
そして、六種、五種、四種、三種まで、民間でお伝えできますよと。三種までは、天皇以外でも、民間で教えますと。そして、二種、一種というのは、天皇の学びとなります。これは、大嘗祭という、そういうものを司るところでの祭祀の役割ということになりますけれども。そういう七種入門ということで始まる教えがあるということですね。今の、神道の作法でいいますと、もう最初から、神を迎えることも、神をお送りすることも、二拍手で省略形になっております。もともとは、今から150年くらい前までの白川家の伝えでは、これが九種の拍手、そして、これが八種の拍手となります。
和学教授所「神拝作法の解説および動画(1.3.神拝伝承)」
https://wagaku.shirakawagakkan.jp/learning/
これが神をお迎えする儀礼(第九種神拝作法)と、お帰りいただくというのか、お送りする儀礼(第八種神拝作法)、そういう働きがあります。その二つのうちのお送りする方を、今の神道では、神をお迎えする方と、お送りする方の両方が、一緒になっているような、そういう伝え方になっているといっても過言ではないと思うんですね。ですから、その点は違いが出ているというかですね。その八種と九種というのは、ある面では、省略して、使われているといっても過言ではないのかなと思います。省略形ではないものが、白川家の伝えであるし、入門からすでに、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神という、そういう四種別に分けて伝えているということになります。ですから、ちょっと、最初から、神様のすべてを、ある面では拝するというか、お迎えし、お送りするという技になっていくといってもいいと思うんですね。しかも、神々の階層というものも、ある面では、すべてではないですけれども、相当たくさんの神々をお迎えし、そしてお送りするという技としての七種というかね。それが入門になっていくということになります。その方法自体は、江戸時代からそうですけれども、ほとんど秘密裏に行われてきて、そのことは、内容は、とにかく伝わっていないというのも、フィールドワークといいますか、調査してみると分かりますけれども、ありませんと。
富士山の河口湖周辺でも、そういう教えを長らく受けていた御師の梅屋という屋号を持った本庄家なんかは、徐福(じょふく)の頃に、すでに、そういう富士山の近くの神社で、そういう歴史があるといわれている家ではありますけれども、それでも、そういう伝えはなかった経緯があります。そこは、日本で一番、白川家の文書を残している、そういう家柄でもありますが、そこにさえ、七種の片鱗もないほど、教えが伝わっていなかったということが、フィールドワークの実際でございました。それが書かれた文書も残っていませんでした。そういう中で、我々は、高濱清七郎先生が、江戸期、明治期として残してくださったことによって、それが、今、こうして皆様方にお教えできるということになっているわけであります。
その内容が、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神という、打つ方法というかですね。遠津御祖神というかですね。我々の先祖の神を後ろ手で打つというのは、神社界で、たとえば熱田神宮とか伊勢神宮とか、彌彦神社(やひこじんじゃ)とか出雲大社とかですね、一番古い神社にもまったく伝わっていないんですね。出雲大社は、四拍手とかいいますけれども、二拍手と二拍手の間を一拍空けて、4つ打つということになります。これが、彌彦神社なんかでも、そういうふうな柏手になっていますけれども。あるいは、伊勢神宮の場合には、一つ置いて、四拍手を二回というかですね。八開手(やひらで)といいます。そういう打ち方が、基本といいますかですね。それをやっているのは、先程もいいましたように、名古屋の熱田神宮と伊勢神宮が、八開手といいますかですね。内容的には、前後でもって、わからないようなものもあり、それを含めると、十拍手ということになりますけれどもね。そういう伝え方があってですね。数が多ければ尊いというわけではありませんけれども、白川家の場合には、そういう始まりというか、入門で、そういう四拍手を使って、あとは、六種、五種というかですね。最初から十打ったりですね。さらに増えていくと、三種になりますと、30回以上、柏手があるような、そういう柏手も伝わっております。皆さんには、三種ということで、お伝えすることもあると思いますけれども、今の段階では、まずは入門として、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神という、四つの拍手を打つ打ち方を、まずは入門編としてお伝えしておきたいと思っています。
天津神、国津神というと、遠津御祖神というのが、神々の序列といいますか、その働きの違いによって、我々は、宗教学的な分類では、多神教というような言い方を、たくさんの神様を拝するという意味では、たしかに、そういう神様の階層というようなものがあると。その一番大きな区分けの中に天津神、国津神という神様がいて、そして、そのもとに宇宙、自然を司る神々としての、五行(木火土金水)あるいは、五大(地水火風空)といいますかね、風の神というような、そういう神様を拝するわけでありますけれども。あとは遠津御祖神というか、かつて生きた先祖も、神様になるわけですけれども。その神様の階層を含めた五行・五大の、あるいは、風の神を除くと、ほとんどの神々は、まずはご挨拶するというのかですね。そういうことになっているのが第七種神拝作法ではないのかと思います。
天津神という存在というのは、どっちかというと、神話の世界と思われがちですけれども、当然、民族が、神様に関する話を伝えてきているという、そういう神話を持った民族であるということの高貴さというのか、あるいは、大切さというものが、もちろん、あるわけですけれども。そういう意味では、天津神というのは、神話といいますかね。宇宙創造の話を伝えた神々として伝わっている神であるわけですね。この神々というのは、ある面では、インドの宗教のブラフマンというような神様がいらっしゃいますけれども、この神様が宇宙創造を司った神様として、インドでは、ヴェーダとか、ヒンドゥーイズムといいますか、そういうヒンドゥー教の中では讃えられている神様でありますけれども。日本では、古事記神話、日本書紀等々で表現される神々の神話、創造神の神話ということになりますと、古事記でいうと、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神という造化三神の神様に代表される内容があるというふうにいってもいいと思うんですね。その宇宙創造神というものを、最高神として、神々が、神を生むといいますか、そういう神話になろうかと思いますけれども。それは、一番、そういう高貴といいますかですね、大切な宇宙の始まりを含めた内容があると。この内容は、まさに、世界といいますか、そういう神話という神の話の世界の中では、一番基本になる部分というかですね。旧約聖書でいいますと、それを、宇宙創造の神としての、そういうエホバの神、イスラムになるとアッラーの神様ということになりますけれども。宇宙創造神ということの内容を持っているということになります。
国津神というのは、そういう宇宙創造で生み出された神々の役割というかですね。百神で、伊邪那岐、伊邪那美、16、17番目の神様が、また神様が生んでいくというかね。造化三神から、新たに神々を生む構造が二段階になっていて、そして、98、99、100番目の天照大御神、月読命、須佐之男命という三神の天津神を生んで、創造を終える。今度は、途中で、伊邪那岐、伊邪那美の神様が、三神を生んで終えた後、今度は、天孫降臨といいますか、天津神のそういう働きを持った神様が、この日本民族に働いていただいて、造化の妙といいますか、教え導いてくれるという、その中で、教えを、正しく伝えてもらったというかですね。そういう教えを、公のために尽くさんとする、そういう働きというものを受けて、学んだという世界が国津神の世界であるわけですね。国津神というのは、個人の利得ということではなくて、あくまでも公のため、みんなのために、どこまで生きるのかということの、天津神の学びをさせていただいた内容が、国津神といってもいいと思うんですね。
ですから、天津神というのは、天孫降臨で、邇邇藝命(ににぎのみこと)が、高千穂の峰に降りて来られて学んでいくというかですね。その内容が、それを受けて、しっかりと学ぶことができた者たちの働きを込めて、国津神というふうにですね。公に生きるということが確認できたものを、神というふうに呼んで、国津神というふうに呼んで、それを実現しようとした歴史があるといってもいいと思うんですね。その後、結局今度は、伊邪那岐、伊邪那美のときに、さらに、つながりで、天津神、国津神、そして五行といいますか、自然の神様といいますか、そういう木火土金水といってもいいし、風の神といってもいいし、その神々の働きを持った存在も神であると。一般的には、そういう神話を確信できない場合には、ほとんど歴史的には、いわゆる自然といいますか、ネイチャーといいますか、そういう働きといいますか、そういうものを、易経あるいは陰陽五行というような歴史の流れの中で、そういう自然の働きを、五行、五大として学んだ経緯があるのが、アジアの歴史ですね。ヨーロッパでは、みんな自然というものではないの、という表現になってしまうんですね。自然の働きを神といっただけではないのということで、一方的には、そう思ってしまうというようなことも確かであります。
そんなことがありまして、いってみれば、神々のそういう階層性のある学びを、七種で、自然の五行というようなご修行があるのですけれども、それを除くと、ほとんど神々を迎えるという意味では、七種の中にすべて入っているというかですね。天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神という中に、神々の位階といいますか、階層といいますか、それが、もう揃っているというふうにいっても過言ではないくらい、たくさんの神様をお迎えして、そしてご挨拶するということが、白川の神々をお迎えするということの基本形になっているといってもよろしいかと思います。ですから、七種入門をしっかりと掴まえる、学び尽くすということが大切なことであるというふうに思っています。
七種入門の、もう少し精緻な表現が何箇所かあります。どのあたりで柏手を打つかとかですね。榊のように迎えるようなかたちでご挨拶するような迎え方が、白川の七種入門の柏手の方法ということでありますからですね、そのこと自体は、そんなに難しいことではなくてですね。七種入門が持っている、非常に中心的な課題ということは、まずは神々の階層を知るというかですね、その代表的な神々をお迎えするということで学ぶ祭式、あるいは、所作であるというふうに捉えていただければよろしいかと。いってみれば、細かくは、所作はありますけれども、基本としては、そういうすべての神々を、白川の神々をお迎えするというかですね。固有名詞で呼ぶことはしませんけれども、いってみれば普通名詞で呼ぶというかですね。天津神といっても百神あるわけですから、百の神々を初めから呼ぶということは大変ですからね。神様の名前をずっと呼んでいないといけないような主義になりかねないというかですね。それは、祓いの、あるいは祝詞というかですね。そういうものでは、精緻に、神々の働きを、個別個別でお願いするときには、そういう固有名詞で呼ばせていただいて、どうか、そのお働きが起こりますようにということが、本来の祝詞ということになろうかと思いますけれども。普通名詞化するというかですね。百神を天津神という、あるいは国津神という存在を、基本的には、まずは日本国の各宮々に祀られているですね、これは重複するところもありますけれども、そういう神様をお迎えして、その働きを賛美する、あるいは、その働きが、さらに起こっていただくようにということの国津神という存在も出てくるわけですね。で、天津神、国津神ということ、そして、遠津御祖神、要するに、自分の何々家の先祖をお迎えするということもある。そして、産霊幸倍神のような、そういう自然というかですね、その働きを中心とした、木の働き、水の働き、火の働き、土の働き、金の働きというような、そういう木火土金水の、五行の働きの神様というか、そういうものの全容を、我々は、神として、その働きを述べるというかですね。そういう方法をとって、神様をお迎えし、そして、お送りするということで、その神様の中には、人と神が、一つになるというか、そういう神人合一の世界もありますし、そして、また神人一如といいますか、神々を迎えるという、そういう中では、この神様という、そういう神様の役割があるというふうに捉えていただければいいんじゃないかと。
七種入門というのは、そういう意味のすべての神々に由来している神々の、一体にするために前提になる神々をお迎えするということの意味の所作を含んだものとして、これをまずは学ばないと何も始まらないということになってくるわけですね。そんなことがありまして、あとは細かくは、また所作をお伝えさせていただくということになりますので、どうぞ、お受けくださいということでございます。まずは、私が白川の道を伝える者としては、その天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神というような、四つの神様の働きについてご伝授申し上げますということを、皆様方に、まずはお伝えして、それから、学びに入っていただくということですね。最初は、見様見真似のようなことになるかもしれませんけれども、こういうふうにするんだということを、ぜひとも、これから、機会があれば、ご一緒に学んでいただければいいかなと思います。他にも色々と気がついたことがありましたら、今日の間でも、諸先輩方の中で、これをお伝えしていないねということを、お聞き願ったり、お話いただけると思いますので、その後のところを、また皆さんと共に、さらにフォローしていただければ、ありがたいかなと思っています。今後とも、よろしくお願いしたいと思います。
今日は、ありがとうございました。