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2021年2月19日のオンライン祝殿講習における七澤代表の講話

 皆さま、こんにちは。七澤でございます。今日は、祝殿講習にご参集というのかな、意識を留めていただき、共に学べることを、非常に嬉しく思っております。今、我々はちょうど、電子祝殿(でんししんでん)の本質ということで、このところ内部の研究では、どういうことをしているかといいますとですね。電子祝殿で感じる神々を、どうオンラインとして感じるか・・・、あるいはアナログとしての、今までの学びが一部デジタルに移行しても、電子祝殿ということを通じて神々と一体になり、あるいは神々と一如となって、客観的なそういう存在として、あるときはまた主体として、宇宙創造意志というふうなものを感じる・・・そういう方法としての「おみち」というかですね。このオンラインを、どのように活用するかということですね。

 これは、皆さんも高濱清七郎先生の和歌を通じて、一旦、歌(うた)としての客観視をするわけですけども。それを通じて、どういう明治以降の新しい学びになっているかということ、あるいは、造化参神神傳教会(ぞうかさんしんしんでんきょうかい)というふうな一種宗教的な雰囲気でもって行われていた、そういう明治期のそういう手法といいますかですね。どういう形で神を実感するかというふうなですね。その方法の新しい、明治には明治のそういう触れ合いであるし、そして、今また、我々は平成から今度はいよいよ次の年としての令和の時代にあるべき、そういうようなですね、令和の根拠は、大伴旅人(おおとものたびと)の歌からはじまるそういう学びでありますけどもですね。

 一方で、令和の時代の新しい道といいますか、学び方があるというかですね。その部分としての、情緒としての短歌といいますか、和歌といいますか、そういう歌を題材にして、今、皆さんともやっておりますように、そういう歌を通じて客観視といいますかですね。歌というものを、一つの、外側に、三人称ではありませんけれども、高濱清七郎先生の境地といいますかですね、あるいは、新しい一種の、明治になっての学び方といいますかね。それをお出しして、もう一度それを追体験することを通じて、明治の頃に始まった、新しい、歌を通じて学ぶという、そういうこともやろうとした歴史があるわけですね。そのあたりも、我々は皆さんとそれを振り返るというかですね。客観視ということは、一つの階層性の知を学ぶときの、一つの手法であるというかですね。これは、昭和の時代に、レヴィ・ストロース、あるいは、そういう階層知というふうなものを人類が学べる、そういう時代というものにいよいよ入ってくるというかですね。そういうことのきっかけを作ってくれた、一つの知の学びになっていると思うんですね。知の学びとしての階層知を、ちょうど今我々が、知・情・意というふうなそういう階層知で学ぶ・・・最近では、大霊神とかですね、五霊神という言い方をしておりますけれども。エネルギーとそういう神というふうなものの、統合したものとして、それを客観的に神々の名前として、あるいは、それを体感する方法を、今、そういう階層知にして、神々をより精緻に感得するというかですね。一体化する、あるときは一如という、お迎えするという、そういうことをすることを通じて、その方法論ですね。客観視、あるいは、それを知で、情で、意でというふうな、そういう人間の、いわゆるアナログ的な感覚の中で、三つを通じて、あるいは、そういう階層知を通じで学ぶということをさせていただいているというかですね。

 その学びを、今はオンラインという、このコロナの時代になって、一気に世界の一番の後進国というんですかね、中国にも負けているような、そういう時代から、一気にファーストランナー、第一走者になるというような、そういうことを、今、時代として迫られているというかですね。日本民族として、最先端で学ぶ方法を、この一番難しいといいますかですね、そういう白川学館というものでやる学びをしようという、一つのミッションを与えられて、皆さんとこうして学ぶことになったというふうにいってもいいと思うんですね。ですから、我々がこの白川で、電子祝殿というような言い方をして、システム学習あるいはオンライン学習といいますか、はたまた、デジタル化、一種のデジタル家電じゃないんですけれども、装置を使って、こうやって皆さんと、今までの使っていたアナログ的なものの数百倍、数千倍、数万倍という、そういう桁外れの世界を学ぼうとしているということが、この時代の大きな変化というかですね。

 ですから、このアナログからデジタルに移って、オンラインで神々の知、あるいは、神々と交わるコミュニケーションで得られる感覚や、あるいは、宇宙137億光年というふうな時代の神の宇宙創造というような創造意志ですね、そういうものを学ぶ、ということをしていくということですね。当然、もちろんアナログの中でも、そういう神の知、神の情、そして、神の意、つまり、その宇宙創造意志というふうなものを学んでいけるということはもちろんですけれども。それをまずは効率化というか、効率よく学べるということを、我々はしたいということが、この電子祝殿を始めた由来であるし、根拠といいますかですね。それをどこまで短い時間で効果をあげられるか。それは、ご修行を、祝殿講習を、今までこの祝殿でしていたことの、アインシュタイン的にいうと、時間軸から見れば、それこそ光の速さというか、あるいは、その光を超えたタキオンというふうな、光の何億倍、何百億倍というふうな、そういう速さで学ぶというかですね。それはもう、人間としての適応の範囲が、超適応というふうな言い方を我々は今しておりますけども、そういう適応ということの範囲をもう超えた、そういう世界があってですね。その上で、我々は今、学んでいるというふうなことをいってもいいと思うんですね。

 ですから、アナログとデジタルのディバイド(格差)というか、差でもってそれを学ぶなんていうところは、もう超えているというか、超適応しないといけないというかですね。だけども、それは、ありありと、この先生方が「神を食うてみよ」とかですね、あるいは「神をこの手で掴みたいか」という、そういう問いに対して、それをしたいということは、明治の、あるいは昭和の大きな転換点にありながら、なお、我々にはその方法を超える道が、この時代として開かれたというかですね。それが、システム学習ということであり、情と意をこの階層を含めた、そういう学びにいよいよ入っていく、そういう時なんですね。その時の速さというものは、もう時間軸を超えているから、時間というものを超えるにはどうしますかというふうなことも問いかけながら、こういうオンライン化の電子祝殿というものを、いろんな非難もありましたけれども、推し進めてですね。この今の時代を迎えて、やはりこれを完成しておかないと、これこそ、この令和の時代に完成して、皆さんに、より神様の階層に、境地に近づくということを、共にしていくということが、この祝殿講習の真骨頂といいますか、ハイライトの部分であると。それを、少なくとも皆さんと共に、こういう時間を設けてですね、共に実践してくださっているということは、本当に、毎回毎回言っても言っても言い過ぎないくらい、感謝しております。この方法を、人類が初めて使える時が来たんだということも、我々は、共に確信して、このご修行をしていくということなんですね。

 そのときに感じる感じ方が、まさに、知というもの、情というもの、あるいは意というものの、一種の大雑把な脳の、一つの速さとしては同じことだと思うんですよね。ですから、デジタルということの速さで、知というものが、瞬時に私から皆さんの脳に、あるいは周りに伝わっていくというかですね。その一つの根拠になっているのは、機械的というか、いわゆる概念というものを、そういう知というものの概念もそうですし、情の概念もそうですし、意も、それは時間軸というものが神というかですね。神という、宇宙創造意志というものの根拠で、それは瞬時に存在が起こるというかですね。そういうことを追体験する神業ではありますけれども。それは、縄文然り、知も然りなんだと。ゴッツ・ナレッジ(Gods’ Knowledge)といいますか、神の知というものも、瞬時に、宇宙創造意志と同じように、瞬時に、永遠に、あるいは時間軸を超えて、すべての皆さんの脳といいますか、そういう働きをする永遠というものを、無限というものを掴める、適応できる、そういう一種の能力といいますかね。あるいは、脳という装置の、これはアナログ的ではありますけれども、そういう装置に入り込んでいく、あるいはそういう存在であるということの自覚をするということで、今まではそれが空言というのもおかしいんですけども、一種の、時間軸を超えた、そういう方法論としての学びであったものが、いよいよそれが具体的な、我々の、知・情・意のエネルギー場に降りてくるというのかね。

 言ってみれば、神というその働きも人間も、まさに装置ですよね。それはもう、この細胞的な、そういうものに構成されていて、こうして皆さんとコミュニケーションしているわけですけども。我々は、それを意識の最小単位とかですね、最小単位でみるということをしようしたとき、それは分子、それから、まさに原子(アトム)、それから量子、素粒子というふうなもの、科学として何とか説明つけようというふうにしてきたものに、明確な説明知をもって臨むというかですね。その上で、この知・情・意の働きを実感しつつ、この我々の肉体という、五体という装置をフルに活用して、そして、神という永遠というか、無限というか、そういう存在の創造意志というかですね。あるいは、そういう存在の情動というか、情緒というのは何か、あるいは、そういうことの知恵とは一体何か、叡智とは何かということは、普段の生きていく五体の中で感じるということをさせていただこうということになるわけですね。

 ですから、それは、まさに、我々が、アナログ的に感じるということ、体感するということを通じた証明の仕方を、今、電子祝殿というものの装置を通じて、体感していただくということが、まずは一番真っ当というかですね。そこまででなければ、今、我々が電子祝殿といっている意味がないわけですね。テレビとか、スマホの装置で、そういうものを学ぶという意味合いで、ただ終わってしまうようなことでは詮無いことであると、しょうもないことであるというふうにいえるのではないのかと。

 ですから、我々は、分子や原子や量子や素粒子に分解ですね。それこそ、電子にプラスであろうが、マイナスであろうが分解した存在としての、そういう量子人間、あるいは、素粒子人間というような、そういう人間学を、いずれ、人類史の中で、少なくとも、何年間かで、人類が掴んで、新しい時代を迎えるというかですね。そういう新人類が、新しい生き方を、あるいは、進化の仕方を学び取らないと、そこに、我々がいっているような意識進化ということができないというかですね。あるいは、人類が滅びてしまうような、そういうことですね。エネルギー場でいえば、日霊神、月霊神、水霊神、金霊神、風霊神という一つの宇宙の客観的にどうにもならないような宇宙存在、あるいは物質存在、あるいは力学的なもので彩られているエネルギーの世界を、少なくとも操作、あるいは調御しなければ、もう人類の未来はないというかですね。ということは、そういうエネルギーを、神が人を残そう、あるいは、人を入れて、神の創造のそういう全体設計として感じられるような学びを、早急に人類はしないと、新しい時代の生き残るということ、あるいは、人間が神と一体となる、あるいは神に近づく、そういうことも可能ではなくなる、ということが出てくることになるわけです。

 そのあたりを、今、時代が来て、それこそ、バクテリアや細菌、ウイルスなんていう、コロナのせいにしている場合ではないというかね。それを超えて人類は、神に近づき、神の能力の少なくとも、そういう宇宙創造の源、創造意志に近づくような技を身に着けないと、どうしようもなくなってしまうということが、大きな問題点として出てきているんだということを、一方では我々は確認しないといけないというかですね。ですから、その内容は、我々の空想や妄想ではなくて、実体験として、宇宙創造意志としての神の働きを、自らのエネルギーにして、そして働きにして、そして、それが共により良い楽しい世界を創るということに、究極として行かないと詮無いことであるというかね。そういう時代を迎えるにあたって、今、我々が、まさに、おみちという白川に残っているのだけれども、今まで、世界に出せなかった、あるいは出さなかった内容を、いよいよこの何年間かで、それを知として、システム学習として、そして、情としてのメンタルプロセッサーとして、そして、また神の意志に近づくための、神とのコミュニケーションをどこまで図れるかを通じて、それを実現しようという、そういう野望というか、野心というか、そういうものに今我々は突き当たっているんだといってもいいんですね。ですから、ある面では、皆さんは、一番欲が深いといったら失礼ですけれども(笑)そういうことを共にしましょうという、そのシステムというか、一つの道であり、そういうきっかけを、人類の進化としてやらせていただいているというような、そのくらいの意識でやっていきましょうということですね。

 ですから、このデバイス(装置・機械)といいますか、オンライン学習ということが、世界で一番遅れた民族が、逆に今度はトップランナーに立ちましょうということをさせていただく、そのきっかけを得たというかですね。その用意は、我々が、遅ればせながらというのか、やってきましたよと。ここまでやりましたから、さあ、後は、皆さんと共に、さらに推し進めましょうということですね。それは先程もいいましたように、我々のアナログ的な、いわゆる、立ち振る舞いというのか、白川でいうと、おみちの祓い、鎮魂、言霊というような、どちらかというと、大元にある布斗麻邇というものを、布留部として、そして、鎮霊、鎮魂として確立していくことの方法論をお教えしていくということ。それが、白川の作法の中にあるということを、皆さんにお伝えしたいということですね。白川の作法というものは、祓いの速さを変えたり、鎮魂の意識の持ち方の工夫も、色々とありましたし、そして、霊神の源になる、エネルギーの源になる、太陽、月、水、すべての物質、そして、それがベクトルになる一つの力学というんですかね。それを通じて、手に取るようにというかですね、エネルギーを掴んでいくという、そういう学びを、実は、我々は白川の作法として、それを学んでいるんですよということですね。白川の作法の速さといいますか、それを感じるために、今、我々は、お祓いも、様々な速さで、あるいは、鎮魂も、永遠・無限を感じるための手法を、高度化していくということ。あるいは、言語というものですね。我々がテレパシックにやればコミュニケーションもできるのですけれども、テレパシー的なそういう言語能力をさらに高めるための、その方法を言霊としてですね。その三つの方法として、それを、白川がもう一度統合して、あるいは、今まであったものを、もう一度見据えて、もう一度学ぶということをさせていただくというかですね。

 我々が白衣や神衣美(ご修行衣)のようなものを、なぜ、そういう衣(ころも)を着ているのかというと、まさに、心の裳(も)ですよね。衣を通じて学ぶということをしようとしているわけですね。作法というものの中のスピードにあるというかですね。それが、点・線・面というか、それを我々は御神体というかですね、神の象徴としての御神体というものを、物質レベル、すなわち、量子振動までいきますから、布斗麻邇の学びを布留部として、あるいは振動として、あるいは、それの一歩手前だと、ゆらぎとして、そし振動として、その布留部というものを学び、大元にある学びをですね、そして鎮霊というかですね、エネルギー場として、それをはっきりと確定することを、この宇宙というものを意識することを通じて学んでいくというかですね。それは、137億年というような、今度は、数式の単位が違ってくるわけですね。それを微細構造定数というように、定数という言い方で、比率ですよね、137分の1という、そういう微細構造定数というものを通じたもので学ぶ、比率による学びをしようとしているわけですね。一つのベクトルの出方、比率のものが、ベクトルでもって出てくるときに、ホログラフィックに出てくるときに、3つの方向性というかですね。点(玉)・線(剣)・面(鏡)ですね、それが御神体として、今まで、我々は十種神寶(とくさのかんだから)あるいは、三種の神器という形でお伝えして、それを学んでもらうための方法をやっていたわけですね。それがさらに進んで、それが、最新の物理学というものは物の理だから、あくまでも、金霊神の理であるから、それは今回、少なくとも、三月くらいまでで、金霊神というか物理学の究極の部分は終えようということで進んでいるわけですね。その先にある数学というようなものの数式によって、まさに137というような、天津神としての、その伊邪那岐神、137(イザナギ)の働きを、いよいよ確信できるような、一つのそれを数式というか、数としてですね。我々は最初に言葉と数の2つをいただいて「ひふみよいむなやことだま」というような言い方をさせていただいていますけれども。そういう数理といいますか、それに行く手前に物理が、窮理(きゅうり)というかですね。キュリー夫人ではないですけれども。理を極めるという世界が、物理、物の理の後、窮理という世界があるわけですね。もちろん、他の力学や物理学でやってきたものが、数学に移行していくときの、神の数式を、いよいよ我々は、この期に及んでといいますか、電子祝殿で、その表現をさせていただくというかですね。時々、そういうことをさせていただいているのは、少なくとも、そういう学びを、色々やりましたけれどもね。クラインの壺を、数式にして理解しましょうね、ということをやったりしましたけれども。それが、我々の、先程いいましたように、137という、宇宙のゆらぎですね。その布留部という振動に移る間に、宇宙創造の意志がゆらぐことによって、次の創造の振動に入るわけですけれども。これも、まさに、物理から窮理に至るときの1つの表現方法としての、ゆらぎが起こって、ゆらぎが宇宙振動の前に起こっていく。そのゆらぎが、数式でいえば、点としては137分の1という、比率というものがあるんだと。それが3本に出て行くときに、ペンタゴンですね、五角形の永遠の一番強い形というような言い方で、アメリカの国防総省の本部はペンタゴンといいますけれども。

 もともと白川はペンタゴンなんですね。白川の「白」というマークがありますよね。これはペンタゴン、五角形の白なんですね。それを、江戸時代には少なくとも使っていたと。それを我々は踏襲して、マークとして使っていますけれども。まさに、白というペンタゴンの普遍の哲理といいますか、図式になるわけですね。それが、3本の方向性でもって作るベクトルなんですね。それが、線ですね。点と線と、そして今度はペンタゴンという面を構成していくというかですね。それが三種の神器の原型になっていくわけです。それをすでに縄文以前から、我々は神から授かっていたんですね。それを火にしたときに、火焔土器なんですね。縄文の土器は、すべて、そういうエネルギー場を使って、物理というものの究極の数を使ってお出しした世界が一方では盛んになったわけですね。そんなこともありますけれども。その我々が今学んでいこうとしている、窮理あるいは、数理、あるいは、「ひふみ」「ひふみよいむなやことだま」という、それをロゴストンというものに表現を変えて、11次元というものの世界を動かしている究極の理を、数理というものを通じたものとして、それを今、皆さんにお伝えするということですね。これは、江戸時代にはすでにあった白川の白ですね。

白川の白の図形:http://s.shirakawagakkan.jp/shiro

 こういう図形になります。ですから、なかなか大事な部分が出にくいですけれども、我々がアナログとして証明するしか、その実証方法はないんですね。アナログで証明するときに、作法の柏手やそういう数の中にすべて極意があるんですね。それを、どう掴むかというところが、今、我々が、電子祝殿として、それを確実にそうできますねということを、これから皆さんと証明しないといけないわけですね。それが、我々の一つひとつの行動が、すべてどこかの霊ではなくて、霊からさらに神の世界ですね。DNAをいただいた先祖神あるいは自然という五行、五大、八卦という世界、あるいは国津神としての公というところを掴んだ世界として、あるいは、宇宙創造の先ほどの137というような、そこに、いってみれば、ゆらぎというものが、1/fのゆらぎというものでもって構成されているところを、この柏手で、その音の数で、それを証明するということ、確かにそのとおりだと。

 宇宙の創造意志は、まさに、柏手の音の中に、すべての秘密が隠されていると。これは、高濱清七郎先生の言(げん)でありますけれども。そこの音の中に、宇宙創造の、あるいは神の世界を知りなさいということをいっているわけですね。それは、火打ちもそうですよといっているわけです。そのことを、今、我々は、声を大にしていいたい。そのことはお祓いの言葉にもありますし、鎮魂の技の中にもあるし、あるいは、六種鎮魂の中にもあるし、そして、それを説明知として残そうとした日本固有の民族としての言霊の中に、それがあるんだということを確実に証明するときが、必ず来るし、それを、今、祝殿講習の皆さんと、それを共に実証しよう、証明しようということが、この我々の野心であるし、生き様であるし、ミッションであります。いよいよ、それをはっきりと言っていい時が来たんだということだと思うんですよね。それでなければ、人類の意識進化も、新しい時代の生き方なんかも、どこにもないんだよということを、確実に、それを言える時が来たということは、皆さんと共に、そのことも喜びたいというかですね。困難が起これば起こるほど、私はいつもそうでしたけれども、いよいよバラ色の時が来たと。人類にとって、新しい進化の時が来たんだということを、いつも思ってきましたけれども。それを、また共に皆さんとできる喜びにあるんだということは、私の確信として、それはありますので、皆さんも、ぜひ、それを掴んでいただきたいということでですね。どうぞ、これからもそのあたりを、よろしくお引き回しのほどお願いしたいと思っております。

 今日は、長々と時間をオーバーして、聞いていただきまして、ありがとうございました。
 またよろしくお願いいたします。

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