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2021年2月3日のオンライン祝殿講習における七沢代表の講話

 皆さん、こんにちは。オンライン講習も今回2回目ということで、まだまだなかなかスムーズに行きませんけれども。今日を迎えることができましたことを、非常に喜んでおります。デジタル的にやることもそうですけれども、やっぱり、アナログ的に一緒にやるという方法論というんですかね、アナログとして、皆さんと学ぶということがありながら、なおデジタルでそれを超えるというかですね、成果をあげられるような、そういう学びを、この祝殿講習でオンラインでもしたいということは山々なんですけれども。そういう思いはありますけれども、これからますますその道が知覚というか、あるいは、意義のある、あるいは成果のあるものとして、みんなとやっていきたいという、そういう思いがあるわけであります。そういう中で、今回、皆さんとご修行していて、良かったと思えるようなですね。

 ですから、そういうことがこのシステム学習の中に、あるいは、まだあげられていない内容というか、そういうものでカバーできるものや、さらに講習として充実できるものがあれば、それをさらに皆さま方にお伝えするというか、そういうことは、やぶさかでないということであってですね。まず、内容的な、ご修行のカリキュラムというか、そういうものの充実を図るというような意味で、一番これから必要なものというのは、やはり八神殿というものがあります。他の古神道あるいは神道と違う教えとしてですね、しっかりと八神殿の内容は、皆さんにお伝えするところですね。始めていくための、まだまだ助走というかですね。そういう意味での五行というふうなところの修行、それが七種、入門で、六種鎮魂で五種、四種というふうに進んでいきますけども。一方では、その核になるところとして、今、我々がこのオンライン講習で用意しているところというのは何かといいますと、今、我々は盛んに水霊神から金霊神というふうな言い方や、風霊神というんですかね。そういうものも視野に入れたご修行というものを、いよいよお出しするということをしようということで、今、様々な用意をさせていただいているわけでありますけれどもですね。

 この八神殿の修行に関わる、そういうご修行というのは、相当高度なこと、あるいは、五行の、風、五大、宇宙の風というふうなもの、あるいは、太陽とか月とか、そういう具体的な太陽系における学びということを前提にした、そういうご修行というものが、実はあるわけですね。これは大嘗祭というもので、あるいは十種神寶御法とか、三種の神器ということで、天沼矛とか道主貴という、そういう御神体というものを通じて学ぼうとしている内容といってもいいと思うんですね。そういうことをいよいよ皆さんにも体験していただくというかですね。そういうおみちの、あるいは祝殿講習をされる皆さんの特典になるといいますか、あるいは、良かったと思えるような、そういうご修行に、さらにしていきたいということでございましてですね。

 その内容というのは、基本としましては、高濱清七郎先生の和歌や、これから俳句も含めた、そういうもので学ぶといいますか、心というんですかね、オンラインということは、ある面では、皆さんと心を学ぶといいますか・・・。ご修行の心の境地というか、そういうものも学ぶというところがあって、皆さんと先生の思いやご修行の先人達の心を、そういう行き着いたところというかですね、そういう境地を共に持ちながら学べる、離れていても学べるというか、そういうことを目指していくということが、オンラインの学びの中枢というか、大事な部分ではないのかというふうに思っているわけですね。

 そういう中で、一番アナログ的に知覚でもってお祓いを受けたり、あるいはお話するというふうなことは、そういう意味での役割というか、感じる、具体的に感じる世界というものがあると思うんですね。それを感じながら、実感しながら、さらにご修行を高めていくというふうなことが可能になれば、それはそれで成果ありというふうになっていくのではないのかなということですね。そのときに、一番基本になるところというのは、体感といいますか、直感というのか、あるいは直知というのか、直視というのか、知情意というか、そういう思いを実感できるような、そういう学びを共にしていきたいということが基本にあるということであるわけですね。それはちょうど超古代というか、神武天皇から人の代でいうと、90代以上100代くらい続いた家が菟田先生の家であるわけですけれども。そういう100代前の人たちというのは、やはり、神の働きといいますか、あるいはそういう自然の働きというか、人というものの持っている能力というふうなものが、非常に如実にというかですね、体感的にそれぞれ神の世界を、あるいは自然の世界を実感していたのではないのかと・・・。

 だんだん、そういう学びが、特に天皇の祭祀も、宮中祭祀ということも、だんだん政治絡みといいますかですね。祭祀という、祭政の中の祭祀から政治絡みの問題になって、それが武力や、そういうところにどうしても力を見せつけるというのかね、そういう方向に見えていくようなことになったことが、一つの大きな神武というのは、神の武というようなところに、第一代の天皇の道も、軍事というふうなものが中心になって、今はそれが経済と一体になってきてしまいましたけれども。その昔は、やはり祭政一致というか、それを、明治天皇は理想として、明治維新に開こうという、復古しようということであったわけでありますけれども。これもちょうど十代くらいずつそういう変化があって、ウガヤフキアエズ王朝ですね。天皇家の前の、今の皇室の、ウガヤフキアエズ王朝から神武天皇に至っていく、そして、125代続いて、今126代目の天皇がお立ちになって、それを我々は、大嘗祭ということで、その祭祀というか、天皇の祭祀というものが、一体如何なるものであったのかということを、克明に、明治維新のときの王政復古よりももっと克明に、皇室祭祀に迫るということをさせていただいたということが大きな学びであったというかですね。それが、宇麻志阿斯訶備比古遅神の、天沼矛あるいは道主貴というふうな天照大御神の生まれた三神というかですね。そういう神々の働きとはいかに、というふうな、そういうことを御神体を通じて、そういう学びをさせていただいたというかですね。これはまだ十分、皇室に伝わっていないところもありますから、まだ我々の課題としては、おみちを伝えるという意味では残っているところではありますけれどもですね。そのあたりの学びをいかにするかということが、同時共時といいますか、おみちというものが、はっきりと力を持つというかですね。力を持つということは、すなわち我々の現代の言葉でいうと、エネルギー化してですね、その働きが起こるということに尽きるわけですね。ですから、そういう現実に、我々の祓いあるいは鎮魂あるいは言霊が、エネルギーの場として、それがはっきりと感じられるような、そういうご修行をするということが、一番の、何よりの、今に残されてやるべきことに繋がっているというふうにいってもいいと思うんですね。

 そのときに、今このコロナが起こっているときの具体的な生き残りといいますか、病気をしない、あるいは病気を治して生き残るというか、そういうことをどこまでできるかというところが、これは「ORMUS(オルムス)」というようなものだけでなくて、そのようなテーマとして、我々は直面しているというふうに思っているわけですね。ですから、そのときに、なにを一体みんなと喜んで行うかというか、人類の意識進化というふうな大上段に振りかぶった、そういう新しい時代の命というものの巡りを実感できるようなものとして、デジタルというものが単なる抽象的な、そういう方向に行くのではなくてですね。如実に実感できるような、そういう学びとして、あるいは、そのエネルギー場として十分、我々がそれを心地よいものとして感じ、あるいは、それを喜びとして感じる、生命作用として、それを掴める方向で行きたいものだなということが一番の根っこあると思うんですね。ですから、今こそ、このコロナの不確定な時代の、不安から恐怖、恐怖から恐慌というような、百年単位で、人類の心が病んでいくときに、堂々と力強く命というものを巡らすということを、共にしたいということが、この時代の我々の生き様であったほうがいいのではないのかということでございます。そのあたりを一緒にできないかということで、歴史としても振り返るというかですね。それは政治ということが、今まさに、皆さんがすべて協力しても、今回のコロナで起こっている世界の惨状に政治の働きが十分にいかないようなことが起こっているわけですね。そういう中で、我々が、神様にお願いする、あるいは、神という、そういう力にすがるというのか、そういうことを実感して、神の力を実感して、そして、人類が、より良い命というものに向かって進める、そういう生き方をこの時代に残す、あるいは実践するということが、古代から残っていて、だんだん、やらなくなってしまった祭り、祭政というかですね、そっちのほうの学びが十分に行われていないということになろうかと思うんですね。

 今、我々が、ケネディの言葉ではないですけれども、政治に頼るということではなくて、自分たちが超えていかないといけないよ、ということをいったこともありますけれども。まさに、我々が、そこを、今、学ぶというかですね。それは祭祀によって、作法が、単なる猿真似の作法ではなくて、具体的な水の働きのエネルギー場と神、そして、日の働きのエネルギー場と神、あるいは、金霊神というかですね、すべての物質の中核にあるような働き、あるいは、風という働きというようなものを、どこまで、我々が、エネルギーと、神と呼んで、その働きが起こっていただけるような・・・そういうことが可能なのかということを、実証するといったら、大きく出ますけれども、そういうときが、この時代に来ているのではないのかなと。

 それができない限り、我々が、あまりにも無力というか、悲しむべきことというかですね。それは、3000年、あるいは6000年というような、大きな単位でいうと、その間の人類というものが、信仰に止まって、現実に神の働きを、人の世界、あるいは自然の世界にもたらすことができなかったという、その嘆き、苦しみということで終わってしまうのかと。それとも、神の働きを十分にお出しして、さらに、その上で、皆さんと喜びあえる、命の賛歌を歌えるような、そういうものですね、ベートベンでいえば、250周年で、第九のところでもあろうかと思いますけれども、そういう歓喜の、そういう神の存在を実感しながら、その世界を喜びあえるような、そういう人と人、人と自然、人と神というなかで、それを実現していこうということが、この時代の我々に残されたことですね。

 特に白川は、まだ世界に対して、どういう祭祀で、世界を平和にするかということが述べられていないというかですね、それを最後にはっきりと表明して、エネルギー体として、それを実現するというかですね。この自然界に、あるいは人間界に実現していくということが残っているのではないのかと・・・。そのことを白川学館はさせていただいているんだということは、皆さんと共に確認しながら行かせていただくというかね。今、ちょうど、神武天皇の故事にちなんで、我々は、隕鉄の刀(隕刀)を「メテオグラディオ」ということで創りましたけれども。その以前から、あるいは、そういう神武天皇のそういう世界に奉じていた天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、天之常立神という、そういう別天津神の世界の力を確信していただきたいと。

 人類の生き方、生き様の中に、今回のコロナを克服していく道を、少なくとも掴んでみようということですね。それが我々の今の時代の学びと、その祝殿講習ではないのかと。そういう次第でありまして、私は決して、皆さんと祝殿講習を、さらに、デジタルでも、オンラインでも、実現していくことを、共にしていきましょうということなんです。したことが、人生の後悔にならないように、共に、それを学び取るということをやりましょうということを、いつも言っているわけでありますけれども。そのあたりを、さらに、皆様方の力を結集して、共に、それを広げるようなことができれば、嬉しいことだなというふうに思っています。そんなことでありまして、いつも、宣言とか意思表示みたいなものばかりで終わりそうになりますけれども。いよいよ日霊神、水霊神、金霊神、風霊神というような、少なくとも、47億年のこの太陽系の歴史のなかで起こってきた進化と同時に、この生命というものが、ここまで永らえて、あるいは永遠の命に近いような経験を、我々がさせていただいている最中で、一番大事な部分に差し掛かっているんだというときを選んでいきたいと思っております。

 皆さんとこれから、祝殿講習をさらに高度化し、喜びのある、そういう学びとして進めていきたいということを感じています。今、皆様方に「はふりこと」も含めて、毎日のように、お知らせをさせていただいていますけれども、そういうものも含めて、共に、さらに進んでいきたいと思います。いつもいっておりますけれども、祝殿講習には、絶えず新しい情報と方法論を含めて、気付いたところをお伝えするということでございます。これからも皆さんと共に学んでいきたいと思いますので、どうかよろしくお願いしたいと思っております。今日はありがとうございました。皆さん、健康でもって、またお会いしましょう。

 ありがとうございました。

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