2021年1月22日のオンライン祝殿講習における七沢代表の講話

皆さん、こんにちは。今回、祝殿のオンライン講習ということで、初めて皆さんと共に学びをさせていただきましたけれども。いろいろ新しいことといいますかですね。オンラインでするということについての様々な制約、あるいは自由なところとか、いろいろありますけれども。なんせ初めてでありますから、なかなか、しかも本来の講習というものが、アナログから一気に、こういうデジタルの回線を結んで、皆さんと共に学ぶということでありましたからですね。少々戸惑いとか、あるいは、なかなか馴染めない部分もあったのではないかなと思いつつ、一緒にさせていただきました。そういう中での、感想みたいなものも含めまして、お話できればいいかなというふうに思います。
我々の目的というのは、やはり「神」と「我」といいますか、最終的には、「我も神である」という、神と神、その場合にも、我々が神と呼んでいるものと、神の神というか、創造の神といっている神との違いを、五行の神もそうですけれども、遠津御祖神という神、あるいは、我々が過ぎた能力というようなものに対しても名付けて神とも呼ぶわけですね。ですから、自然の五行というもので我々はできていますけれども、その五行を超えて出てくる、ひとつのその働きというんですかね、それもまた「神である」というかですね。
水を入れるですね、昔は手でこういうふうに掬(すく)って水を、それが手酌というか、笏というかですね、あるいは瓶とか、入れ物になったというか、それもまた、そういう物質としても、人間が手で水を掬うとすぐに溢れてしまいますので、その入れ物が(人より)優れているというような意味での、そういう存在も神というふうに呼んでいるわけですね。そういう神、あるいは、そのつながりから見ると、人の卓越した能力というようなものも含めた存在を、神というふうに呼ぶこともあるわけですね。
ご多分に漏れず、古事記や日本書紀にあるように、天津神という、そういう世界ですね。それを、天津神、国津神、五行の神、風の神、そして遠津御祖神というふうに、神の位階というかですね、階層性の中での呼び方があるわけですね。そのときに、人称でいえば、人間の表現であるし、人が人をみるというときには、仏教ではないですけども、差別(しゃべつ)というか、差別ということからみたら、みんな自分よりも優れた神的な存在として捉えるというところが前提にあって、神の世界というものの全体を理解する、その神と一体、あるいは、その神と一如、あるいは、その神と、三人称じゃないですけれども、分けて捉えるというような・・・。どういうふうに神と人の関係を見るか。そういう中で、感じる、そこから生き方を掴もうとすると、その中にあるものが、そういう神の感情といいますか、あるいは、神を感じる捉え方といいますか、そういうものに出会うというかですね。そういうものを含めての世界は、どういう世界なのかということは、ほとんど宗教という世界で、一部そういうことを解明しようとした宗教も、一神教のような宗教もありますけれどもですね。神と人における、自然に対応したときの感じた方というものは、我々が今、最初にはじめるときに、ボディワークとしてやる、その所作、一つの作法の中に、人と自然、あるいは人と先祖というふうなものの中で、感じ方を感じるというのか、そういうことは多々あるわけですけれども。白川は、そういうものが非常に少ないということですね。解明されていないというところが、その部分が、白川における長い歴史の数万年の歴史の中で培った、神と人との関係の中で掴む、ただ自然をどう感じるかという感じ方だけではなくてですね。次第に遠津御祖神と一体になって感じる、先祖ということの神の感じ方、あるいは、さらに五行という、あるいは風という存在の神というかですね。そういうものを、どう感じるか、あるいは、そして、その世界を創る神話としての創造神といいますかですね。そういう天津神という世界をどう感じるかというようなところの、感じ方のまた階層も様々にあるということになるわけですね。
今、我々は、それを遠津御祖神を感じましょう、それから五行の神を感じましょう、そして、その五行からさらに感情といいますか、人の感情というか、そういう感覚としての神だけではなくて、感情、あるいは情緒としての神というものをどう捉えるか、という働きも含まれているということになるわけですね。そのときに、情緒としての神をどのように理解するかといったときに、今、我々が時代の中で飛び越えようとしている、オンラインといいますか、デジタルの中で起こっていることというものを、電子祝殿というような言い方で広げてきた、そういうご修行の仕方、あるいは、それをアナログ的にはシステム学習の流れとして、オンライン化というもので理解する方法を高めようとしてきたこと。それを、唯一といいますか、早くからそのことをテーマにしてやってきのが、この白川における、新しいシステム学習ということからの広がりとしての祝殿講習であり、オンライン化であるということなわけですね。
このコロナの時代に、そういうことが先鋭化したというかですね。みんながそういう生き方をせざるを得ないような状況になったときに、人と人、あるいは神と人が、どういうふうに繋がって、そして神の持っている感情といいますか、そういうものを我々がどこまで理解できるかというようなところを、アナログ的な学びとしては、もちろん長い間やってきたわけですけれども、それと同時に、こういうオンライン化で学べる方法がないと、ある面ではまた、たくさんの人がこの学びに参加できないという、そういう不公平が生ずるというか、不平等が生ずるということが一方でもまた出てくるわけですね。
ですから、そういうものを超えて、一神あるいは多神の神というものを自覚できたり、あるいは、神というものと人間との間に起こる感情というか、情緒というかですね。そういうものをどこまで広げて、そして、心豊かになって、人が人と、あるいは自然と争うというふうなそういうものではなくて、共に生きとし生けるものと、元気に生き延びることができるかという、本来の宇宙創造の意志に則った、そういう生き方を、このオインライン化の中の学びでも、さらに高められることができれば、こんな幸いなことないというふうに思うわけであります。
今、ですから、そういう意味では、我々も自然というものを逆に、ウイルスとか細菌とか、そういうものでたくさんの種が絶滅したり、温暖化というようなことで、今度は逆に、様々な、そういうややこしい、ウイルスや細菌が、復活してくるようなことが起こるのではないのかという・・・そういう不安に、あるいは恐怖に苛まれて存在していくというようなことではなくてですね、今から、そういうものを一つひとつ、言霊(ことだま)によって鎮魂され、あるいは本来の在るべき働きの中に、生きられるような人間社会というようなもの、あるいは自然との関係、あるいは神と人間との関係をより良いものとして構築していくというところに、新しい時代の人類の意識進化の要諦といいますか、中心的な課題があるのではないのかということが、テーマとして、我々はそれを行いますということを宣言して、この人類の意識進化というものに貢献するんだというようなことから、今、我々はこれを、神という宇宙存在というものを創り出したものの感情といいますかね、情緒といいますか、そういうものは、一体どういう情緒であったんだろうかというところを追体験しながら、新しい時代の人間のまたその在り様を、確かめていくというようなことがこの時代に要求されている人類の進化であるというふうに捉えて、共にそれをやらせていただいている、というところではあるわけですけれどもですね。
そういう中でみると、今我々が、自然から学ぶということと、それから、自然を、最初は先祖を神というふうにいって、あるいは、公ということも本来は神の宇宙創造の目的としての存在としての神という情緒を学ぶ、あるいは、天津神、すなわち創造神としての、宇宙創造の神の存在をどう捉えるかというところからの神というふうな、そういう階層性の中でそれを一つひとつを学んでいくということを続けていく中で、この道が開けるというかですね、人の道も開ける、神の道も開けるというか、そういうことが言えるんではないのかと。
この「ギャラクシーコード」という本が、いよいよ出ますけれども、この本の中に、そういう意味では、ギャラクシーコードを受講された皆さんもいらっしゃると思いますけども、一気に開示するというかですね。そのあたりのところが、宇宙創造という、銀河というものの創造というものが、人間にとって、一体どういう存在なのかというようなところも含めた学びを、皆さんと共にできる、そういうテキストのようなものとしてこれは書かれたものである、あるいは、そういう学びのテーマであったことを、皆さんと共に、それはまたここで、是非とも必ずといっていいと思うんですけどもね、読んでいただくことが、この神の宇宙創造というものから、人間の先祖というふうなものにも繋がる、自然と、そういう道をここで説かれているというふうに思っておりますので、これはもう必読書として読んでいいただきたいと。今、私も鎮魂、それから祓いと言霊というふうなことで、今まで祝殿講習や、祝殿の学びの中でやったものをお出しして、そして学んでいただこうというふうに思って、本をお出ししようというふうに思ってはおりますけれどもですね。とりあえずといったら失礼ですけども、このGコードの、ギャラクシーコードは必読書として読んでいただきたいなというふうに思っております。
そういうところはありますけれどもですね。これからの我々が学ぶ全体系の中で、このオンラインになったとき、必然的に、どちらかというと感情といいますかね、情緒というか、そういうもので学ぶところが多々あるというかね。そのために、この祝殿講習の学びを、審神者(さにわ)とか、いわゆる、一人称、二人称というような中では、自己の中の二人称といいますか、主体、自己の中における、そういう二つの意味ですね。自己自身の中で割れてというか、分かれて、他者というものを自覚するためのものが、このコードといいますか、二人称の中にあるから、それは創造で、一人称、二人称というような形で、意識の広がりがありますけれどもですね、三人称というようなことになると、これは神の目の視点というかですね。そういう目と、自己の中の主体と対象といいますか。そういう意味の三つが組み合わせてできる、そういう意識の変容といいますか、意識の自覚というようなものは、なかなか今まで人類の意識構造の中ではできなかったところを、今、我々は、それを推し進めようとしているというかですね。白川というものは、そういうものを推し進めてきたんだと、その中に、自己自身とそれから審神者というふうな、そういう世界を持ち込んで来たんだと。それは何よりも、三人称というふうな、神の目の視点というか、そういうものを掴むための手法として、手立てとして、それを、今、我々は学んでいるというかですね。そのときに、このオンラインという手法自体がすでに三人称といいますかね。私がここに居て、そして、そのZoomの中にいる私が居て、そしてまたそれを見つめている皆さんが居るというふうな、そういう意味の、三人称というような意味でもありますからですね。そういう目で世界を、宇宙を見るという見方、そこの中に、今回の「ギャラクシーコード」の中にある、ブラックホール、ホワイトホール、ワームホールという、そういうものが役に立つときが、いよいよ、ものの見方といいますかね、そういうものとしてあるんではないのかと。それをさらに深めていくというような意味での、オンライン講習というようなことが始まっているというかですね。
そのときに、自分自身の、水に対して、あるいは五行に対する、一種の無神論的なというか、それを神と言わなければ神ではない存在としての自然というふうなものが、人間の中に存在していてですね。それがみんなをまとめ上げているというふうなものから見た、ものの見方というものを考えた方がいい場合もあるということで、今、我々は、それを自然から、人間の生き方みたいなものを学んでいる最中でもあるわけですけれども。その自然と、要するに五行と私というふうなものとが、私が五行という、自然からどういう人の道、生き方を、あるいは倫理を、道徳を学んでいくかというところが、少なくとも、太陽系でいうと「日」であり「月」であり、「地球」でありというかですね。それが、太陽系の出現の時の、神話としての天照大御神、月読命、そして須佐之男命という、98、99、100番目の神の完成形としての、そういうものとしての自然というふうなものを学ぶ機会が何十万年、何百万年かあったわけですね。動物の精神あるいは学びからすれば、そういう長い間をかけて学んできたということでもあるわけですけれども。それ以外に、五行、あるいは風というふうな、これは易の卦の八卦だけではない捉え方もありましょうけどもですね。少なくとも八つの父韻というようなことの、宇宙における働きといいますか、そういうものでもって学んできた歴史があろうかと思いますけれどもですね。そういう「月」「日」そして「風」というふうなですね、我々日本人は、そういうものを季節の風靡(ふうび)といいますか、季節の到来によって二十四節気に分けたり、あるいは、五気に分けたりして学んだ、そういう自然というものから、自然の温かさからはじまって、様々な学び、そして人がその温かい人であろうするということを目的に生きた歴史というようなものも、確かにあったと思うんですね。
そういうもののエネルギー場としての働きを、我々は「日霊神」とか「風霊神」、「金霊神」というような言い方で、その広がりをエネルギーという広がりの中に、我々が置いて、そして人の生き方、そのエネルギーを人にも与えるというか、そして活かすというか、そういう世界を、自然の中から学んできた歴史があると思うんですけれども。そのあたりも含めて、今、我々が、如何にそういう自然からの学びをしてきたか、それはまさに白川が、五行の中でいうと、木霊神というのもおかしいんですが、木に、榊ですね、一番のエネルギーの強い木である榊の木になる、ということですね。ですから、すべての神を迎える木として、常緑樹の中では、榊を選んで、その榊に一旦、神様をお迎えして、そしてその上で、人がまたお迎えするという、神人一如というかですね。神人一体ではなくて、神人一如という、そういう世界を、三人称の世界を開いてきた歴史でもあって、その中で、そういう木になり、そしてその木が神になり、そしてその神と人がどう生きるかというところを学ぶというか、そういうものを今、このオンラインの中で、テレパシーといいますか、時空間を超えて、そういう学びをできる時がいよいよ来たんだと。
ですから、テレパシーというか、そういう世界をまさにオンライン、ONにするというか、スイッチオンにするということによって作られる世界を、さらに強化して学んでいくということがはじまるんだと。そのときに、オンラインの、離れていても、そこに神人一如の神の心、神の創造の意志というようなものに思いを致して、そこにその世界を掴むことができるということを通じて、人類が平和で安全で、本来の目的に適った生き方ができるというところが大切なんですね。この学びになるというかですね。そのときに、主体から見た宇宙創造ということを、人に根拠に合わせると、人も神ではないのかというふうな捉え方もできて、そこが言い掛かりをつけられて、神はお前なのかと、では、お前が宇宙を創造したのかというような、そういう御託になってしまう場合もありますけれどもですね。そうではなくて、そこに至るための意識の変容というものを、神を学ぶということを通じて、そこに意識のスイッチを押すということが、このオンライン化の重要なテーマであるというかですね。
だから、自分が自分にスイッチを入れるような部分もあるし、人が天津神というか、そういう存在に対してスイッチを押すというかですね。その瞬間に宇宙というものの存在が確定されるというふうな意味合いかもしれませんけれどもですね。それは物理学の世界でありますけれども。そういうことを自在にできることが、人類の新しい時代のはじまりであるというか、意識の改革のはじまりになるのではないのかというところが、大きなミソといいますかですね。我々の、人類の発達史の中で、進化史の中で、飛び抜けて大切なところに至るのではないのかなということがあります。今回の、そういう意味の祝殿講習のオンライン化ということは、全く違った、そういう考えをもってあるというかですね。白川のおみちもいよいよ明確になってきたというかですね。そのための文献的には、相当お出しできるようなものとして作られているというふうに思います。そのシステム学習もここまで広げてきたわけですから、それを皆さんと共にさらに深めつつ、さらに飛躍していくというか、そういう年の祝殿講習のオンライン化というものを共に推し進めていただければ幸いではないのかなというふうに思っております。
そんなことでございまして、いよいよ本来の、白川のおみちといいますか、さらに進めることの意味が非常に深いものであろうというふうに思いまして。我々も、コロナに関しては、10年、20年、30年というそういう長い間をかけて研究しておりますから、なぜもっと早く皆さんにお伝えしないのかといわれましょうけれども。我々もできるだけたくさんの人にオルムスをはじめとして、白川のそういうウイルス対策もお伝えしたいんですけれどもですね、どうしても誤解を受ける反面がありますので。今までは、無料で配布するようなかたちで、たくさんの実験は、もう結果的にはしていただいたわけでありますけども。そういうものを含めた、あるいはワクチンというものもシステム化した、そういうものとしての電子ワクチンというようなものも既に早くから開発してありますからですね。さらに進めるということからいいますと、世界が目覚めてほしいなというところまで、その研究はもう終えてありますのでですね。是非とも皆さんは、その点、ただ口先で安心していいですよというようなことではなくて、そういうことも入れるような内容には、3月からはしていくための用意は、飲み物にしていくことも、もうできております。単なる消毒液ではなくて、ウイルスを排除できるものもお作りしてありますからですね。
そのへんも含めて、このオンライン化と、そういう意味のオルムス・オルタというか、そういうものとの些かの矛盾は含みますけれども、そのへんはご容赦願いたく、お使いいただければ有難いかなというふうに思っております。そんなことでありまして、また今年からはじまります祝殿講習を、皆さんと共にさらに力強いものとして、皆さんと研究開発していきたいというふうに思いますので、今後ともよろしくお願いしたいと。特にそういう難しい論文のようなもの、ですから、皆さん方の一つひとつの感想も論文に匹敵するような内容として、こちらもそういうものとして理解して、さらに研究を進めていきたいというふうに思っておりますので、感想も、あるいはこういうふうに直に言っていただける内容も含めて、皆さんと共にさらにお進みしたいというふうに思っております。今後とも、今年もよろしくお願いしたいと思います。
今日はありがとうございました。