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2020年11月18日の祝殿講習における七沢代表の講話

 こんにちは。ご苦労さまです。白川学館は、神拝作法といわれているものを伝承する、そういう学びの館というふうなことで、お伝えしているわけですね。これは、非常に人間的な行為というのか、人間だけが、伝承という、そういうことを伝えられるというかですね。極端に言えば、動物なんかは、700万年くらい時間はあっても、何も変わっていないような、霊長類から類人猿、あるいは猿人からくるわけですけれどもね。人というふうになったときに、一体、何を伝えていくというかですね。その端的な白川の役割というのは、いわゆる神の伝承を伝えるというか、あるいはその内容が広くは神という、いわゆる宇宙創造というようなものも含めた物質、あるいはエネルギー的な精神、あるいはそういう宇宙創造の情報というようなものを伝承するというかですね。絞り込むと、そういうことに繋がるというかですね。それを、ボディワークというか、あるいは鎮魂と言霊と、それから祓いという、そういう三本柱を立てて、伝承をしていただくというかですね。

 ですから、伝承というものが瞬時に知、情、その宇宙創造の意志というようなものまで含めた、一番根底にある「神の」というか、そういう伝承を受け継いでいただくというかですね。そのことに、長らくというか、それはきっと、人と神というか、そういう関わりの中で、歴史があるといえばある。そのことが、一体どういう人というものを規定したり、人というものがどういう生き様をするかというところも、決まってくるような内容というかですね。その受け渡しというものが、本来、瞬時にそれが受け渡しできれば、ということは、時間・空間を超えた存在というかですね。それはもう当然、神的な世界ですから、その瞬間に永遠とか、無限とかというそういう時空間を超えたものの世界の伝承というかですね。それは、神というものを如何に分かりやすく、あるいはそれをお伝えするかというところに腐心したというか、たくさん力をそこに注いできたものが、この白川ということの、この千年見ても、そういう学びであったのではないのか。あるいは、そういう伝承というものが繋がってきたというかですね。それは、もう今は、本当に一子相伝というふうな、そういう世界で繋げてきたものから、もうなるべくたくさんの方々にお知らせするということの、情報の広がりといいますかね。そういうものが社会的な場というか、それこそツイッターもそうだし、もうパブリッシュというか、そういう公共財としての印刷から、時代が一気に、ネットワーク社会というふうな言い方もしますけれどもですね。そういう繋がりを要求されるというか、あるいは、その中でいかにそれができるかというような、そういうことがテーマとして出てきて、文明自体が伝承する時の方法論がだいぶ大きく変化してきた。

 だから、この時代に合った、そういうことで、「はふりめく」も「はふりこと」も、それから動画も、あるいはインスタグラムも、如何に早く、如何にたくさんの情報を伝えるかということですね。それは当然、神という無限とか永遠とか、人間が考えられ得る、非常に高度な精神作用というかですね。そういうものを通じてその世界を掴もうとする、そういうことが、我々の中で実現しないと意味のないようなところまで、この今の時代が進んでいるというかですね。そういう中で、基本は、永遠と無限を瞬時に受け渡しするというか、伝承するということが、本来の仕事というのか、そういう理解の中で行われている内容になれば、伝承を瞬時に受け渡すことが、本来ならば可能であろうというふうに思うんですけれども。なかなか我々が、そういっても、なかなかそれを実現するということが、知の段階で、あるいは「確かにそう出来た」というふうに思えるような、そういう「知・情・意」というかですね。その中で、神の創造意志というところまで掴み取れるかどうかというところが、「信仰しなさい」とか、「考えても分からないから、悟りなさい」とかね、この3000年くらいをとっても、そういう色んな方法があったということですよね。

 そのために神の神話というんですかね。神のお話というのもおかしいけれども、そういうものを通じて、少しでも創造者というか、クリエイターの世界、それがたった一神か、それともたくさんの神々によって構成されるそういう体系なのかというようなことでね。一神教、多神教とか、そういう分け方もしますけれども。少なくとも、そういう中で、我々は伝承されるものというものの形態というか、それを今のこの瞬間瞬間に、白川学館としてお伝えする、あるいはそういうことが単なる昔の、こういうふうに教えられましたということだけでは、到底、伝承の内容がおぼつかないというかね。

 一体、何を、神はあるいは先祖たちは伝えようとしていたのかというようなことは、なかなか分りづらい部分ではあろうかと思いますけれどもですね。そこを敢えて、道を進んでいこうという、そういう一つの、今の時期に出てきた、この白川のそういう伝えというものは、天皇御一人の、そういう一つの伝承としては分かり易いわけですけれども。誰にでもそういう世界をお伝えするというふうな、そういう伝承の仕組みになっていないからですね、ひっくり返すようなことも、いろいろ行わなければいけないところもあってですね。皆さんに迷惑かけたり、分かりづらいというような、そういうところもなきしもあらずだと思うんですけれどもですね。

 これは、時代の皮肉というか、致し方ない部分というようなものも含まれていますから、いろいろ言い訳のようなこともしながら、とにかくそれを伝えるというようなことに腐心するというか、心を費やさなければいけないという点はあるしですね。何か回りくどい言い方をするなというようなことも、多々感じられるところがおありかと思いますけれども、でも、そこはその時代の、定めというのかですね。時というものを使って、ある面では、我々はそれを生きているというところもありますから、それを完全に無にするというふうなところで進めないというかですね。ですから、我々のそういう脳の働きを極限まで高度化して、その能力を開発しながら、なお使うというか、そういうことが出てくるということですね。ですから、もちろんこの学びの中に、江戸時代のもの、明治の頃のもの、昭和の頃のもの、いろいろ扱き雑ぜてというか、混ざっちゃっているところはありますけれどもですね。

 一番何を伝えるか、人というものが最終的に伝承というか、そういうことだけを行う、一つの生命体としてあるとすれば、ある面では、宇宙の働きや、それは「神の働き」というふうに呼んでもいいですけれども。その中に、全て説かれている、あるいはすでにあるというふうに言ってもいいと思うんですけれども。それをこの脳が、あるいは言語として、それをしっかりと、あるいは身体の、ボディワークの中で、知の働きの中で、そういうものも含めて体感できるような道というものが、その都度その都度行うというか、そういうことが基本にあるわけですね。

 ですから、4年間でもって1400話くらい毎朝話したり、あるいは今も毎日のようにツイッターという形で発信と、だから「はふりめく」で言っていた頃からみると、4倍、5倍というか、たくさんのそういう媒体を使って、知らしめるというようなこともしなければいけないというかですね。そういう意味の、まさに今コロナで、LINEというのか、そういうデジタル化されたネットワークやそういう働きを利用して仕事をしたり、理解し合うという、そういう時代が来てしまったというかですね。それは、たまたまそういうことを早くから気づいてやっていたので、我々はそれをもう既定の事実のように、皆さんをウイルスや細菌から安全に守るというところをベースにしながら、コミュニケーションしたり、伝承というものを続けるという、そういうところですね。電子祝殿であると同時に、そういう心身の安全性をも研究して、その上で、一緒にやるということを防衛するというのか、保護するというか、守って伝承ができないと役割がないわけですから、そういう大変さはありますけれどもですね。

 しかし、このように、どんな時代でも、そういう伝承というもの、あるいは神というものの創造の、変わらざる世界というか、不易と流行というような言い方もありますけれども。変わらざるそういう創造の意志というようなところを、どう感得するか、あるいは知覚に至るのか、あるいは「あ、そうだ」と言えるようなそういう情緒というものが齎(もたら)せるのか、あるいはそういう創造の意志というところに繋がるような生き方が、この中でできるということ。一つの実験祭祀学なんていいますけれども、その実証・実験、具体的に、実証しなければいけないところがあるわけですね。それをして初めて皆さんに、さらに人類に、「あ、この伝承がまだ伝えられていないんだ」と。だったら、それはやってみる価値があるのかどうかというところも含めた、それはもう単なる哲学や神話や、そういうものだけではなくてですね。具体的な存在というか、我々は何故にこの地に命を受けて、生存しているのかというような、そういうその根本的な問いというか、そういうものに対しての解答というかね。

 それは確かに実験として実証されるというふうな感覚の中で、この一つひとつを学び取っていってもらいたいということがあってですね。この時代に、敢えて平安時代の格好をしながら、千年、二千年を飛び越える、時空間を飛び越える、それでもなお人類が伝承したかったものを、共に、作法から学ぶ、あるいは和歌から学ぶ、あるいはボディワークから学ぶということを、共にしていって、その貴重なというか、その先駆けになる皆さんであるというですね。

 それを一緒にやっていただけるということに対しての、私はもう本当にそれに対して、もう心から尊いこと、それこそ感謝することであるということは自覚して、このおみちをすべてをお伝えするということ、公開するということが基本にあっての、こういう祝殿講習であります。

 お伝えする領域というか、エリアというか、その範囲が、空間的に、あるいは日本語というふうなものにどうしても偏っていますからね。難しい面もありますけれども、そういうものをデジタルという世界で、超えていくことを通じて、また一方で、その内容を科学として学びであるとするとですね。リベラルアーツというかですね、一つのテクニックというようなものも含めた、そういうものも十分伝える方法論として持って、それを皆さんにお伝えしようというですね。

 そういうある点では、非常に気宇壮大というかですね、誇大妄想になりやすいようなところ。しかしそれは、そういう精神というものを、安全に保つ方法を開発した上で、実は、本来、その非常に神秘的な部分があって、大概みんなびっくりしてしまうというかですね。スタンフォードの大学で教えている人たちまで、ここの中にみえられて、見学したり、祝殿講習の様子まで加わっていただいて、見ていただいたことがありますけれどね。そういう方たちが、今、この「とほかみ」にしても、それを英語でもって伝えようじゃないかというような方々も、何人かいらっしゃって、その原稿も、今自分からそれを精査してお伝えするというようなことをしていただけるような、そういうことまで起こっているわけですね。

 たぶん、トランステックというか、そういう意識進化というか、意識変容というか、そういう部門の、あるいは人類というものが、そこで次の段階にどうしたら生き残れるかというようなことが、当然、永遠の、あるいは無限のそういう存在としての神の創造意志からすれば、そういうことに突き当たらざるを得ないところが、今、人類が来ているんだと。それを、ボディワークとして、あるいは和歌(うた)として、情緒も含めたものを一緒に学び取ろうではないかという、そういう気宇壮大というかですね。今いろいろ本を作っているところもありますけれども、そういう6年間学んだ人が、あるいは十何年間学んだ人が、一体どういう境地でこのときを迎えるかというようなことの一端がまた書かれた内容も、もうそんなに長い時間かからないでお伝えするというか、今、そのへんの精査をするところまで来てますけれどもね。そういう学び、あるいは研究開発ということにあるものを、これからの若人も含めてお伝えできるような、そういう場面がいよいよ始まっているんだということは、皆さんと、もうじきそれを共有することができると思います。

 そんなことも含めて、いつも何か具体性のないというかね、抽象的というか、そういう抽象度の高いような内容について話しているようですけれども、実は、我々の命というものが、永遠とか無限とか、そういうテーマを題材にして、その獲得のために我々が存在しているんだというですね。

 この命というものの存在の、一番基本に戻って考えるような、そういう仲間、あるいはそういうことを追求していただいているんだという、そういう自覚は、ぜひとも皆さんと共に持っていただきたいなということがあります。そんなことで、ちょっとまだ抽象的だというふうに思うかもしれませんけれども、非常に具体的なテーマというかですね。人類がこれから突き当たるであろう具体的な生命論や存在論や、そういうものにもう身近に迫っているんだと、そういうものを掴み取るというふうなこと。

 それは、ですから、高濱清七郎先生も「神を食うてみよ」とか、あるいは高濱浩先生は「この手で神を掴みたいですか」というような、そういう大胆な表現もありますけれどもですね。まさに、「神を食らう」あるいは「神という存在を掴む」ということは、その創造意志というか、クリエイターの創造意志というかですね。一神、多神にかかわりなく、それを掴む手順が、いつも言うように、遠津御祖神、それから五行の神、そして国津神、天津神という、そういう階層の中で、その神の世界を、人としてそのことを、伝えられたというか、創造者から伝えられたそういう情報であるというかですね。それを我々が確認することによって、永遠の命とか無限というようなことに、単なる抽象的なことではなくて、それが具体的な生き様、あるいは理解、あるいは説明できるものとして、それぞれが体験していくということが可能になる時が、時代として、今、一方では来ているんだというですね。

 そういう中で、その神の創造の世界を伝えようとした、人に、進化の中で伝えようとしたのかというところが、たぶんこれからも変わらざる、そういう学びになってくるんではなのかなということですね。こんなことは、非常に今日は、抽象度の高いようなことの言い方ですけれども、一見ですね、でもそこに、人というものが存在する理由がある、あるいは、そういう永遠の命でなければ、それを神を伝えたわけであるから、その世界が腑に落ちないはずがないというかですね。

 当然そうなんだということが、それぞれ分かるというところに、一つのこの白川の伝承、神と言ってですね、何か宗教に思うような人もいるようですけれど、全くそうではなくて、それは哲学とか思想とか、そういう科学を明らかに超えて、なお人というものの存在を証明する、そういう内容に繋がっているんだということを、どうか皆さん、知っていただきたい内容であるというかね。そこを、神々を掴むという、その中で、皆さんと一緒にやっていただきたい、そういう野望というのか、野心というのか、そういうところがちょっとあるかもしれませんけれども。でも、それは、この白川というものをはじめた理由でもあるし、それが実現できれば、皆さんの、そこで実現できるという世界で、人も社会も、もちろん物質の前提になる物質も、役に立つ時が来るんだということを、さらに続けて、これをやっていただければ有難いかなと。

 だから、それは皆さんの「わかった!」というふうな、単なる悟りとかじゃなくて、掴み取るということが、それがちょうど直会の、自己が食事をして神の世界を知るような、あるいはそういう命というものに関わっているというような、そういう実体験というものも含めた、そういう学びであるということに、皆さんが気づいていただけることが、たぶんですね、この祝殿講習の目的であるし、それが可能になる方法だということですね。

 そこを「真・智・喜」あるいは「真・善・美」じゃないけれど、美しさと喜びでもってそれを確認する、そういう皆さんとできる場になれば、非常に、このお伝えすることがこれからもお役に立つのではないかという、何度も何度も言い方を変えてますけれども、それが大きな目的になっているんだということですね。これで我々は、何かビジネスしようなんて全然思っていないということが明らかに分かるような、そういう学び、あるいはそういう生き方を、感じていただければ有難いかなと。

 そんなことでございますので、本日もいろいろありがとうございました。

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