このたびの参加者は、50名弱の、非常にたくさんの方々に受けていただきました。大霊神のご修行は水晶の玉を使いました。
前回、七澤代表が講話の中で、このご修行というもののあり方、そこに向かう姿勢というものを、非常に明確にお話になられましたこともあり、今回の祝殿講習の、皆さまのご感想のなかにも、このご修行を受けるということの意味合い、それから、そこに向かう姿勢というものについて、たくさんのお声をいただきました。
あまりそこに集中しないで、「淡々と、とにかくやりましょう」というようなお話でした。今、大霊神のエネルギーを掴むというようなお話がありますが、あまりにもそこに固執しすぎて追っかけてしまうと、逆にそういった神々をまたお迎えすることができないというところもございます。
今回、ある会員の方が、そのお話をいただいたことで、とにかくあまり意識しないで向かうことができたそうで、その体感が、じわじわと上がってきましたというようなお声をいただいたりもしました。
朝拝の鎮魂もそうですけれども、とにかく淡々とやって、なにか結び(産霊)があったとしても、それを手放して、今日、それから明日と、毎日を淡々と、とにかくそれを行うという、その積み重ねが非常に大事なんだなというような気がしています。
沙庭のご修行に、今回五首、選出させていただきました。その一番最後の歌に・・・・・
「神々の 嬉しきものは 酉の声 天地ともに 清めなくらん」という歌がありました。
毎日、この祝殿、電子祝殿を通して、日本全国そして世界の方々が、この声を合わせて酉の声となって、酉の声の「とり」というのは十理という意味合いもあるかと思いますけれども、十理の声となって、毎朝、毎朝、新しく清めて鳴くというような、そういう歌が非常に今回印象深かったと私自身も思っております。
会員の皆さまとともに、このご修行を淡々と続けることで、また色々な発見があるのではないかと思っております。続けていきたいなと思っております。(山口)
本年は、オンラインで、みなさまとともに祝殿講習を展開しているなかで、具体的な、そして精緻な内容を備えたデジタル・コンテンツを提示しながら、ご修行をさせていただいております。
参加者のお一人おひとりが、アナログとデジタルの立場が統合されたところで、瞬間瞬間の体感を得ながら、共有の学びの場を創出していることを、今回の講習においても、あらためて感じさせていただきました。
大霊神のご修行、沙庭のご修行と行われるなかで、お一人おひとりの言葉のあり方が、明確な意志から、自らの言葉として表現されていると、感じました。
ご自宅にいながら、電子祝殿を通じて一同に集い、学びを共にし、情報が即時移転する、その中で直知の学びを行い、参加されていることの志のあり方が、実際にデジタルを通じていることで、時空を超えた学びの実感として、皆さまの言葉に現れていると感じさせていただきました。
昨今の社会情勢であるからという理由だけではなく、自らがアナログの立場をもって、アナログに内在するデジタルのあり方を、精緻に確認する時代に来ているということも感じました。
そして、明確に、目的をはっきりさせた精緻なシステム学習をもって、直知がもたらされることで、公の各事業の展開がさらに進展することを感じました。
様々な体感や気づきのある、新しい時代を迎えているなかで、学びの場を共に創り出しながら、今後ともより充実した講習を、共に進めさせていただきたいと思っています。
(斉藤)